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2016年02月12日16:28

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「瞑想」がエゴの「迷想」にならないように〜ルパート・スパイラ

「瞑想すること」と「瞑想そのものになること」の違い
「瞑想する」ことと「瞑想状態である」ことの違いをまとめておきました。


「瞑想する」
・マインドを操作する、マインドを何かに集中させる、ある状態になるように仕向ける。
・分離した自己(エゴの自分)は、肉体と精神、思考が自分だと捉えているので、瞑想に関しても「するもの」「一つの活動」「平安を得るためのもの」と理解し、瞑想を通してあることを「達成」しようと試みる。
・物質的なものを手に入れるのと同じ意識で瞑想を通して何かを得ようとする。
・実際、マインドは鎮まり、つかの間の静けさ、平安を得ることが出来る。


「瞑想そのものになる」
・瞑想=私たちの本質そのもの、ただ存在すること、ありのままの自分であること
・意識的に「気付きとしての自分であること」
・自分とは常に今ここにある、何にも動じない光の気づきであると知ること
・その状態に留まること




「瞑想」とは「ありのままのあなたであること」

私たちがここでいう「瞑想」はまったく違ったものです。マインドを集中させたり何かの状態に仕向けたりするものではありません。「瞑想」と は、私たちの本質そのものなのです。「瞑想」とは、故意に「気づきの存在になる」なのです。言い換えると「ただ在ること」です。それこそが本来あるべき最高の瞑想なのです。ありのままのあなたであることそれが瞑想なのです。皮肉にも、これは世界で最も簡単なこと なのです。呼吸するよりも簡単なことなのです。マインドがある特別な状態になる必要もないのです。あなたが素晴らしく知的な人であっても、あるいは、まったく知 性のない人であっても関係ありません。心がざわついていても、平穏であっても、困難な状況に置かれていても、問題のない状況であってもそんなことはちっと も関係ないのです。なぜなら、どんな状況にあっても「気づき」としてのあなたは、いつだって存在しているからです。瞑想するとは、意識的に「気づきとしての自分であること」ただそれだけです。
すばらしいですね。

今まで、マインドの活動−「するもの」として瞑想をしてきたとしたら、私たちが座った時、マインドはすることがなくなって、存在価値を失って、何かと反抗してくるはずです。今までは仕事がたくさんあったのに、急に仕事がなくなったので反攻してくるのです。マインドは動揺して、あなたの注目を取り返したいと思い始めるのです。「こうした方がいいよ」「これは本物じゃない」「これじゃ十分じゃない」とかともかく、何とかしてマインドに関わっているべきだという理由を並べ立ててくるのです。マインドはかなりしつこいので、気がついたらマインドの迷路にはまり込んでしまうかもしれません。でももし、マインドに捕 らわれて自己を見失ってしまったら「オッと」ただ気づいていけばよいのです。


「瞑想」とは「気づきの光」として存在すること

あなたの思考がどこに向かっていようと関係ないのです。思考は常に「過去」に行くか「未来」に行くかのどちらかです。行きたい方にいかせればよいのです。でも、あなたは決して思考と一緒には行かないことです。「瞑想」とは、自分とは常に今ここにある、何にも動じない「気づきの光」であると知ることなのです。ただそれだけなのです。そこに留まっていること、それが「瞑想」です。
-ありがとうございます。


http://vaststillness.com/rupert-spira-meditaion/
「瞑想」がエゴの「迷想」にならないように〜ルパート・スパイラ
地球人のためのスピリチュアルレッスン より転載


頭でスピを捉えている人が陥り易いことでしたので、転載させて頂きました。

ぜひ元のリンクに飛んで全文読んで頂きたいです☆


実は私は(昔 揺れてた頃は良くやってましたが、いまは)ほとんど瞑想はしません。でもしっかりと次々と気づけているので、やはりそれで良かったようでした☆

私は思考の観察はすごくしていますが、思考で行動はあまりしていないので、説明が難しい事が多いのですが、この動画の人も「思考では気づきを見ることができない」って言ってたので、まあ、それはそれで良いようです☆

たぶんすぐに一般の人たちも続々気づいて行くって感じていますぴかぴか(新しい)
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