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2016年02月10日15:51

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きょうのWikipedia:テッド・クルーズ

アイオワ州の党員集会でトランプを制して共和党一位につけたテッド・クルーズのWikipediaです。
以下引用>ラファエル・エドワード "テッド "・クルーズ(Rafael Edward "Ted" Cruz、1970年12月22日 - )は、カナダ生まれのアメリカ合衆国の政治家。2013年よりテキサス州選出の上院議員。米国籍の他にカナダ国籍も持っていたが2014年に破棄している。
目次 [非表示]
1 経歴
2 政治経歴
3 政策
4 家族構成
5 関連項目
6 参考
7 脚注
8 外部リンク
経歴[編集]
キューバ移民でアメリカのキリスト教福音主義の牧師及び伝道師でもある父ラファエル・ビエンベニード・クルーズと、デラウェア州出身の母エレノア・エリザベス・ダラー・(ウィルソン)クルーズの間に、カナダのアルバータ州カルガリーのフットヒル・プロヴィンシャル総合病院で出生。両親はルイジアナ州ニューオーリンズにある石油関係の会社に勤めていたが、当時両親は石油関係の仕事の都合上でカナダに移住し市民権を得た。1974年に父親の転勤に伴い一家でアメリカのテキサス州に移住。以降はテキサスで育ち、福音主義の牧師であった父親の影響で、熱心なクリスチャンとして育った。
高校時代から保守系団体でフリードマン、ハイエク、ミーゼズ、バスティアらの著作に親しみ、1992年にプリンストン大学ウィルソンスクールを卒業。大学時代はディベートで活躍し、全米チャンピオンになった経験もある。卒業論文はアメリカ合衆国憲法の起草者で第4代大統領のジェームズ・マディソンと権力分立に関するものだった。卒業後はハーバード・ロー・スクールに進学し、1995年に上位10%に与えられるmagna cum laudeを得て修了[1]。在学中はハーバード・ロー・レビューの編集者を務めた。
卒業後は連邦控訴裁判所の調査官(ロークラーク)を経て、1996年に連邦最高裁判所長官ウィリアム・レンキストの調査官となったが、これはヒスパニック系では初めてのことであった。その後ワシントンD.C.の法律事務所に勤務し、ジョン・ベイナー下院議員(後の院内総務)の私的顧問を務めている。1999年からは当時大統領を目指していたジョージ・W・ブッシュの政策アドバイザーを務め、2001年に成立したブッシュ政権では司法省副次官に任命された。2003年から2008年まではテキサス州の訟務長官(Solicitor General)を務め、多くの重要事件を手がけて知られるようになった。
退官後は再び法律事務所に勤務した。また、この間2004年から2009年にかけて、テキサス大学ロースクールで連邦最高裁の訴訟について講じた。
2012年にテキサス州から連邦上院議員選挙に出馬し、初当選。
2015年3月23日に2016年大統領選挙への出馬を表明している[2]。所属しているキリスト教会(教派)は南部バプテスト連盟である[3]。 主な支持母体は、ティーパーティー運動、キリスト教福音派、キリスト教右派。
「2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙」も参照
政治経歴[編集]
2013年9月24日の午後に、オバマケアに反対する立場から、予算の成立を阻むため、21時間以上にわたる演説(フィリバスター)を行った。1900年以降では最長の演説の1つになっている[4]。
[icon] この節の加筆が望まれています。
政策[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
政策はキリスト教右派の影響を強く受けており、保守の中でもとりわけ過激な保守強硬派とされる。ティーパーティー運動の代表的政治家である。
自由貿易の促進
米国愛国者法の再法制化
死刑制度の存続を支持
銃規制に反対
進化論を否定
人工妊娠中絶に反対
国民皆保険制度に反対
均等税の導入
最低賃金の引き上げに反対
不法移民の合法化に反対
LGBT(同性愛・性的少数派)の権利確立への反対
マリファナ合法化に反対
障害者権利条約の批准を阻止
小さな政府と新自由主義を支持
イスラエルとの同盟強化
イランやキューバとの融和路線に反対
イスラム国に対して絨毯爆撃の実施を主張している
シリア内戦等中東への軍事介入には反対
家族構成[編集]
ゴールドマン・サックスの投資マネージャーでもある妻のハイディ・クルーズとの間にキャサリンとキャロラインの2人の娘がいる。
父親であるラファエル・ビエンベニード・クルーズはキューバ生まれで、父はスペイン領カナリア諸島出身で母は教師であった。テッド・クルーズの父親は14歳の時、キューバの独裁者フルヘンシオ・バティスタ政権に苦しめられて収容所に投獄されていた事から、バティスタ独裁政権に抗議する為、キューバ革命の革命軍として参加していた。その時、まだ少年だった父親は革命の指導者であるフィデル・カストロが共産主義者だと言う事は知らなかったと言う。1957年18歳の時、テキサス州オースティンのテキサス大学へ入学する為、申し込む事によってキューバを出て政治亡命の意味も込めて法的な方法でアメリカに移住した。革命の指導者であるカストロが共産主義者だと知ると、反カストロに転じ、カストロの革命軍として参加していた事に現在でも後悔していると言う。1961年にテキサス大学卒業後に学生ビザが切れたその後、政治亡命が認められ、アメリカに戻って住み、20代の時に仕事を求め、ルイジアナ州ニューオーリンズに引越し石油会社に勤め、エレノア・エリザベス・ダラー・ウィルソンと出会い結婚。石油関係の仕事で妻と共にカナダに移住した。1973年にカナダの市民権を獲得。後にカナダの市民権を破棄し、1974年に妻と幼い息子と共にアメリカのテキサスに移住し、2005年にアメリカの市民権を得た。カトリック教徒だったが、1975年にプロテスタントに改教し、テキサスで福音主義の牧師となった。2016年の大統領選挙の期間中に息子の応援で、テキサスで息子の代わりに選挙運動を展開し、聖書の教えに基づく説教で息子の支持を訴える活動を始めた。
母親であるエレノア・エリザベス・ダラー・(ウィルソン)クルーズはデラウェア州ウィルミントン出身でイタリア系とアイルランド系の血が入っている。ニューオーリンズで石油会社のコンピュータプログラマとして働いていた時、ラファエル・ビエンベニード・クルーズと出会い結婚した。しかし、1997年に夫のラファエルと離婚した。
父は1959年に結婚した最初の元妻ジュリア・アン・ガルザとの間にミリアム・セフェリナ・クルーズとロクサネ・ルルド・クルーズと言うテッド・クルーズの歳が離れた2人の義理の姉妹がいた。クルーズの義理の姉ミリアムは2011年に亡くなっている。
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