http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16343 (写真入り記事)
今までに、「あなたにつまずきました」と何度か言われたことがありました。
これは聖書に書かれている言葉で、教会の中の人間関係で使われることのある言葉です。
イエス様は、「私につまずかない者は幸いです。」(マタイの福音書11章6節)と言われましたが、同時に、「つまずきが起こることは避けられないが、」(マタイの福音書18章7節)とも言われました。
イエス様は、わざと人をつまずかせようとしたのではありません。しかし、そうであっても、「つまずく人は必ずいる」というのです。
さらにイエス様は、わざと人をつまずかせようとする人に対しては、「わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。」(マタイの福音書18章6節)とまで言われました。
わざと人をつまずかせるとは、つまずかせようと悪意を持って、罠をしかけてつまずかせることです。
こういう人は、「大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがまし」だと言われるほど、悪いことです。
ところで、人がつまずくのは、小さな小石や小さな段差です。大きな石や階段のような大きな段差につまずいたというのをあまり聞いたことがありません。
「あなたににつまずいた」という意味は、電柱のようにそびえ立っている私にではなく、小石のように見えた私につまずいたのでしょう。
少し話題を変えますが、イエス様は、「偽善者」に対して、痛烈に批判しました。
偽善者とは、実際は悪いものであるにもかかわらず、良いもののように見せようといつわり、騙すことです。
偽善者につまずくのは、隠されて見えにくい小石につまずくようなものです。
だから私は、できる限り、自然体で振る舞い、ありのままの自分を人に見てもらおうと願って生きています。
ありのままの私を見てつまずいたとしたら、それは、小石ではなく、電柱です。
電柱がそこに立っているなら、「あなたにつまずきました」と言って、「変わって下さい」「どいて下さい」と言うのではなく、避けて進んでほしいと思います。
しかし、この常識が通らないことがあります。
悪意がなくても、「つまずきを与えた人」は悪者にされることがあります。
「つまずきました」という人がいたら、みんながおろおろして、振り回されることがあります。
ところで、ある人のところに行って、「(誰々)につまずきました」と相談をしました。
相談を受けた人は、「つまずいた人」に問題があるとは思わず、「つまずきを与えた人」に問題があると考えて、「つまずいた人」に味方し、「つまずきを与えた人」を攻撃しました。
実際は、見えにくい小石につまずいたのではなく、そびえ立つ電柱にぶつかったような出来事でした。
つまり、つまずいた人の問題でした。
聖書の、「わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。」(マタイの福音書18章6節)という言葉が、拡大解釈されて、「つまずかせた人が悪い」という考え方があったとしたら、改める必要があります。
�� 人を、悪意を持ってつまずかせてはいけません。
�� しかし、「人につまずいた」と人のせいばかりにしないで、強くなる必要があります
�� 小石でも、電柱でも、そこにあることに気づいたら、それを避けていきましょう
私は、いじめに遭ったことがあります。理不尽な対応をされたこともあります。
いじめられている人は、「いじめられています。助けて下さい」と助けを求めることはなかなか言えません。
私は、いじめられたり、理不尽な対応をされた経験によって打たれ強くなりました。ちょっとやそっとではつぶされてしまうことはありません。
私にとってのマイナスの経験は、今プラスに変えられています。
私の友人牧師は、小さい頃、産みの母親と死別しました。父親は、自分と10歳くらいしか変わらない若い女性と結婚をしました。
当初は、かわいがられましたが、若い母親が子どもを産んでからは、友人牧師はその継母(ママハハ)から陰湿ないじめを受けるようになりました。実のお父さんが気つかないほどこそこそと、ジメジメと、陰湿ないじめが続きました。
友人牧師は、牧師になってから、考えられないほどの嫌がらせを同じ団体の牧師からされたそうです。
その光景を見た仲間の牧師たちは、落ち込んで、その団体から抜けてしまうのではないかと思ったそうです。
しかし、そうではありませんでした。心配して声をかけられた時に、「全然問題ありませんよ。間違っているのはあちらなのですから、なぜ私がつまずいたり、傷つかなければいけないのでしょうか!?」といったそうです。
みなさん、人に「あなたにつまずきました」と、人のせいにするのではなく、強くならせて頂きましょう。
それは、つらい経験をした時に、イエス様と共に耐え忍び、逃げたりごまかしたりしないことです。
また、いじめられたとしたら、いじめを受け入れず、勇気を持って助けを求めて下さい。
気づかない小石につまずくのは仕方ありませんが、電柱があることに気づいたら、避けて下さい。
最後に、「つまずいた」という人を見た時に、つまずきの原因になった人が、悪意を持ってつまずかせたのか、まったく悪意がないのかを見極める余裕を持って下さい。
そして、安易に、「つまずいた」という人に振り回されて、その人の味方になることがないようにして下さい。
今日は、書斎にこもって、一日説教の準備をしていました。いろいろなことを考えさせられた一日でした。
お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。
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