http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16334 (写真入り記事)
聖書は、人の罪の性質について、明確に断言しています。
『「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」「彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。また、彼らは平和の道を知らない。」「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」』(ローマ3章10節〜18節)
私もあなたも含めて、「罪のない人はいない」と、聖書は断定的に語っています。
�� 自分を良く見せようとがんばる必要はない。
�� 人に失望する必要はない。
人は、絶対絶望的な存在なのです。そして、その状態から自分の力で抜け出せる人は一人もいないのです。
これは悪いニュースです。
病気に例えるならば、ガンの宣告を受けたようなものです。「あなたのガンは、全身に回ってしまっています。」
寝耳に水です。
しかし、その時に、「たった一つだけ、あなたのガンをいやす方法があります」と言われたらどうでしょう。
それが、イエス・キリストによる救いです。
聖書は、「あなたは罪人で、絶対絶望的な状態です」と語りますが、同時に、「たった一つだけ、あなたを罪から救い出す方法があります。それは、あなたの罪のために死んで、墓に葬られ、三日目によみがえられたイエス・キリストを信じることです。」と語ります。
これが聖書のメッセージです。
今日は、月に一度、日本のために祈る祈祷会がありました。
一緒に祈っていると、とても大変な問題について話してくれる人がいます。神に祈る以外に解決の道はないような絶望的な状況です。
しかし、神に祈るというたった一つの道が残されているので、そこに一縷の望みを持って祈ります。
これは、昔の文語訳聖書の言葉ですが、『為ん方(せん かた)つくれども希望(のぞみ)を失わず』(コリント後書4章8節)という言葉があります。
現代の訳だと、『私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。』(コリント第二4章8節)です。
私たちの人生の中で、仮に、「四方八方」から苦しめられても、上方から苦しめられることはありません。しかも、上方の窓は開いていて、神に祈り、神から助けを受けることが出来ます。
祈祷会の後、同じ、JEA(日本福音同盟)に所属する「友愛グループ教会連合」の牧師先生ご夫妻と、様々な諸問題を話し合いました。
そこでも、大きな問題を聞かせてもらいました。
神を信じ、神に仕える人であっても、平等に苦しみがあることを知らされました。
おいしいスパゲティーを食べましたが、気持ちが段々重たくなりました。
今日一日、人間の罪深さ、人間の罪の絶望さを感じさせられました。
私は、罪深さと絶望さを知ることは、最大の希望だと思います。
なぜならば、神にしか頼ることが出来ない状況だからです。
なまじ、神に頼らなくてもよい環境なら、お金の力やコネで何とか解決してしまいます。
そこにあるのは、神を除外した解決と人生です。
人には神が必要です。神が共におられなければ生きていけない存在として造られたのです。
だから、罪深さと絶望さを知らされることは、神に頼らざるを得ないので、最大の祝福です。
今日みなさんに伝えたいグッド・ニュースは、みなさんが絶望し、暗闇の中にいるとしたら、誰よりもあなたは祝福されています。
キリストに解決があります。
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』(マタイの福音書11章28節)
一日お疲れさまでした。ゆっくりお休みください。
また明日お会いしましょう。
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