http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16272 (写真入り記事)
今朝のコラムでは、「ギターの弦を緩める」という表現を使いました。これには賛否両論があります。
エレキギターで弦を張りっぱなしにしていると、ギターのネックを40kgの力で引っ張り続けることになります。
私が使っているフォークギターでは、実に70kgの力で常時引っ張っていることになります。
物理的に考えたら、演奏しない時には緩めた方がいいと思いますが、単純な問題ではありません。
ギターのネックはかなり動くからです。緩めた弦を再びチューニングするとそれがわかります。
6弦を「E」にチューニングし、5弦、4弦、3弦・・・とチューニングし、再び6弦の音を弾くと、半音以上チューニングが下がっています。
私は、「MartinのD-35」というギターを使っています。買ったお店はクロサワ楽器です。何度か相談に行きました。
店員さんからは、「3弦目は切れやすいので、そのままにして、他の弦は一巻き程度緩めたらいいと思いますよ」と教えてくれました。それ以来、教えられた通りに忠実に弦を緩めています。
ギターは、弦をちょっと張り続けたくらいで簡単にネックが曲がってしまうほどやわではありません。むしろ、緩め過ぎると、ネックの状態が大きく変わるので、かえってよくないのではないかと思います。
昨年の2月にイスラエル旅行に出かけて以来、ほとんど休むことなく働き続けました。
「神経を張り詰める」という言葉がありますが、私自身をギターに例えるならば、通常は、ちょうど良いチューニングの状態に神経を張り詰めさせていました。
一日が終わり、布団の中に入ってはじめてひと息つきました。ギターでいうところの一巻き程度は神経を緩めていたと思いますが、息つく暇もないくらい、毎日全速で走っていました。
ところが、昨年12/29(火)〜1/2(土)まで、思いっきり弦を緩めるかのように急に体を休めました。
至福の時間に思いました。
ところが、久しぶりにスキーをしたのが原因かも知れませんが、羽を伸ばし過ぎたせいか、帰宅した頃から腰の調子が思わしくありません。
実は、数年前には、今よりもっと忙しく毎日を過ごしていました。忙しいのに、たくさんのボランティア活動も行っていたので、超多忙で、分刻みで動いていました。
ある日の朝、頭が疲れて疲れて、朝起き上がれないほどでした。次女を幼稚園に送る前に、髪型を整えていると、急に腰の力が抜けて、そのまま倒れ込んでしまいました。
これは誇張ではなく、腰に鈍痛が走り、その場から身動きできませんでした。
今のように冬だったと思います。Pタイルの冷たい床の上に10分〜15分倒れ込んで動けませんでしたが、妻がやっと気づいてくれて、代わりに子供を幼稚園に送り届けてくれました。
幼稚園の送迎から戻ると、「あなたぎっくり腰ね。今すぐ、下の接骨院の先生を呼んで来てあげるからね。腰をボキッと押してもらったらすぐ治るからね」と、とんでもないことを言い出しました。
私は、声にならないような悲鳴を上げました。「やめてー!」
腰をちょっと動かしただけで電気が走るようで、ものすごい痛みを感じたからです。
ぎっくり腰でも、重い症状のぎっくり腰でした。
丸3日間身動き一つ出来ませんでした。Pタイルの上に布団を敷いてもらって、その上で安静にして過ごしました。
その時と同じ腰の場所が不調なのです。しかも、ぎっくり腰で倒れ込む直前に近い感覚を感じるのです。
スキーも原因の一つかも知れませんが、休まず10ヶ月間働き続け、急に5日間も休んだので、腰に負担がかかったのではないかと思います。
私は、毎日こういう文章も書きますし、少しでも時間があったらやれる仕事はいくらでもありますので、ちょっとした細切れ時間も仕事を探します。読書をしたり、勉強をすることもあります。外に行って伝道をしたり、地域のボランティア活動をしたり、会議に参加したり、教会にこもって祈ったり、人々の人生相談に乗ることもあります。
週に丸1日休むなんてもったいなくてしたくありません。
しかし、聖書は、週に一度の安息を命じています。しかも、「何の仕事もしてはいけない!」と教えられます。
昔、アメリカでゴールドラッシュの時代に、多くの人たちが金を採掘するために旅に出ました。来る日も来る日も旅を続けますが、クリスチャンの清教徒の人たちは、日曜日になると旅をやめ、神を礼拝し、丸々1日体を休めました。馬車を引っ張ってくれる馬も休め、美味しい牧草を食べさせ、水をたくさん飲ませました。
人々の目には、清教徒たちの旅の仕方を愚かだと思っていました。しかしどうでしょう。しばらくしたら、休まず旅を続けている人たちが疲れのために体調を崩し、倒れる人が続出しました。馬も倒れて死ぬ馬も出ました。
1番最初に金山に着いて、金を掘り当てはじめたのは、週一度安息をした清教徒たちだったそうです。
安息日を守ることは、無駄ではなく、最もよいことだということを清教徒たちが証明しました。
私たち日本人は、多くの人が休まず働きます。
自分のことを棚に上げていますが、休みなく働く人がいたとしたら、体や心を壊さないか心配です。
今年私は、週に1日安息日を持とうと思っています。
「ギターの弦を緩め過ぎず、しかし、適度に緩めることがよい」と、楽器屋の店員さんに教えてもらったように、私たちの体は、適度な休みが必要です。
ぜひ、週に1日安息日を持ちましょう。
聖書は、人間を造られた神の言葉です。すなわち、人間の取扱説明書です。
人間の取扱説明書は、私たちに、「週に1日安息日を守りなさい」と書かれています。
自分の体は自分が1番よく知っていると思うかも知れません。しかし、私たちを造られた神は、もっともっと私たちをよく知っておられます。
今日は、腰を痛めていることを通して、「安息日を守りなさい」という神の命令を守らなかったことを悔い改め、安息日を守ることを決断しました。
私たちの人生は、そう長くはありません。
人生の最後に人が考えるのは、「もう少し仕事をしたかった!」ではなく、「もう少しゆっくり過ごせばよかった!」「大切な人と充実した時間を持ちたかった!」「もっと思い出を作りたかった!」と思うのだそうです。
「クオリティーオブライフ」という言葉が使われるようになって久しいですが、安息日こそ、人生の質を高め、豊かにしてくれると確信します。
今日は、「川口リリア」という公共の施設で、3時間半の祈祷会が行われました。祈ることで心に平安、力、喜びが与えられますが、同時に、体を休めることが必要だと感じました。
お互いに忙しい毎日を過ごしていますが、ぜひ、安息日を守るという最高の贅沢を味わいたいものです。
今日もお疲れ様でした。おやすみなさい。
また明日お会いしましょう。
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