町の教育委員会が昨年12月に製作して設置したもの。
町内幾つか設置をしてあるようです。初詣に出かかけて
確認したのは2ケ所の由緒書です。
その一つが「天宮郷と天宮神社」です。
もう一つが「森町の言われと祭祀について」です。
天宮神社と天宮郷
天宮郷は遠州一宮五ケ郷の内の一郷で、他に上郷・下郷・円田郷・太田郷が所在した。
此処天宮郷は、天宮神社(式内茅原河内カ)が鎮座するが故の郷名である。古くは周智郡
太田郷からの分郷と考えられ、太田川の水運を守護し、祈雨(雨ごい)止雨(洪水除け)を
司る重要な社として九州の宗像三女神を奉祭してきた。
神社の神領の要は「大上」(神社の西の谷)で、「本丁、開運町(海運町)、川久保」あたり
は、「船津」(船着場)であり、山中への荷物を船から馬に乗せ換える場所でもあった。
かつて、天宮大明神は小國大明神の摂社に組み込まれ、舞楽も蓮華寺などの社寺僧が
主導して両社(小國左舞・天宮右舞の国指定重要無形民俗文化財)に奉り、その起源は
平安末期を下らない。
また、天宮神主中村氏の祖先は、菅原道真公に仕えた家来と伝えられ、九州大宰府に
道真公が下る時、遠江へ落ち延び現在まで七十代を数える。戦国期は、今川氏の被官で
天文年間に、一宮荘の代官職武藤氏と天宮神主中村助太郎との間で神領支配の論争が
起こり、中村氏分の天宮支配が従前通り認められている。
その後、武田・徳川の抗争により、神主中村氏は駿河国吉原一条寺に入寺し、天宮神主
は不在であったが、氏子中が帰国還俗させ、後に中泉代官岡田郷右衛門に訴えたみぎり
萱間村鈴木治郎兵衛の中取り持ちにより、五十石の御朱印を拝授し、近世天宮の基盤を
固めた。天宮大明神は、小國大明神と同等な由緒(「中村左京作成)を持ち、寛文以降、
京都吉田家の許状を得て、中村左京を名乗った。
そもそも旧江間家は(天宮神主中村家分家)は、本家中村左京家の分家(初代中村助太郎)
であったが、地域発展の源は、地域人材の育成にあると考えた城下の藤江金兵衛氏は多くの
逸材を募り、自費奨学の特別教育にあたり旧浜名郡新居の江間保氏(空母鴫鶴攻撃隊長)・
河合滋氏(河合楽器会長・江間保氏の実弟)を森で養育した。江間保氏はこうした森との縁から
中村家の長女豊子を娶り、生家中村家跡を継承した。故豊子夫人の希望により平成二十五年
十二月、ご遺族が森町に土地建物を寄贈され、土蔵は町指定文化財に定め、内部一階を史料
の展示室とした。また、旧玄関の小門を移築修繕し、遠州瓦の古瓦(旧小國家離座敷屋根・菊
花紋軒瓦等)を用いて中庭と駐車場の境に土塀を築き、永く事績をここに称えることとなった。
平成二十七年十二月 森 町
森町教育委員会
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