http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16259 (写真入り記事)
4人の子供のうち、上の2人はそれぞれ別行動をしています。上の子は高校生のクリスチャンキャンプに行きました。2番目の子は、毎日中学のサッカー部があります。
つい先日まで赤ちゃんで、おしめをかえ、ミルクを飲ませていたのに、また、幼稚園につれて行っていたのに、と思い起こし、成長の速さに驚いています。
親は子供をいつまでもそばに置いておきたいという気持ちになることがありますが、上の子たちはあっという間に中高生。もう少ししたら大学生になり、ついには社会人になり、結婚をして家庭を持ち、親元から離れていきます。
子供は親の所有物ではなく、神様から預かって、神に愛され、人を愛し、社会に貢献できる子に育てるように託されました。
あるクリスチャンのカップルが、若くして1人息子を子供を交通事故で失いました。
どんな親でも、自分より先に子供を失うことほどつらく悲しいことはありません。このカップルも失意のどん底に突き落とされました。
教会員一同が心を痛め、このカップルを心配して祈りを捧げました。
次の日曜日、カップルは特別な感謝献金を捧げました。封筒には、「神様、この子を10年間私たちの手に預けて下さりありがとうございます。とても幸せな10年でした。今神様の元に息子をお返しいたします」と書かれていて、多額の献金が入っていました。
この話を聞いて、たくさんのことを教えられました。
人は最初、裸で生まれ、何も持たずにこの世に誕生します。しかし、すべては神から預けられたものであるにもかかわらず、一度手にしてしまうと、それを自分のものと錯覚して、手放せなくなるものです。
神は、信仰の父であるアブラハムに、「息子のイサクを全焼の生贄として私に捧げなさい!」と命じられました。
イサクは、100歳という高齢であり、奥さんのサラは90歳で生理もとっくの昔に終わっていましたが、神が奇跡的に子供を与えられました。跡取り息子であり、かわいくて仕方ありませんでした。いつしか神よりも息子を愛していました。
これは厳密に言えば盗みです。神からの預かりものなのに、それを私物化していました。
神様は、「収入の1/10を私に捧げなさい!」と命じられました。1/10を神様に捧げることで、神にすべてを捧げたとみなして下さいます。そして、9/10の中からよく管理して使うことを求められます。
「人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。」(マラキ3:8)
「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。」(マラキ3:10)
神からの預かりものを、神からの預かりものとして感謝して受け止め、管理させてもらう生き方は、持ち物に縛られず、自由な人生です。
私たちに良き物を預けて下さった神様は、私たちが私物化し、握りしめなくても、さらに良き物を預けて下さるに違いありません。
神様が私たち風g腑に預けて下さった4人の子供たちに感謝し、神から預かった子として立派に育てたいと思っています。
親元から離れていく子供たちの姿を見て、改めて、子供たちは神から預かったことを思い起こして感謝しています。
冬休みを、妻と下の子供たちの楽しく過ごしています。
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