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2015年12月09日19:53

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「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【246】 2015/12/9(水) 聖書に浸る」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16216 (写真付き記事)

昨晩私は、久しぶりに早めに布団に入りました。ポータブルDVDプレイヤーで「アブラハム」という映画を見ました。それはそれは、心揺さぶられ、心養われる時間でした。

もし、聖書を二つに分けるとしたら、いろいろな分け方があると思います。通常は、旧約聖書と新約聖書に分けるのが自然かも知れません。

しかし、聖書は66冊の本から成り立っています。旧約聖書と新約聖書の分かれ目は、後日人が付けたものに過ぎません。

聖書の一ページを破っても、もったいなくないと感じる人には、旧約と新約を隔てる一ページを破るようにお奨めします。

もちろん、旧約は「やがてイエス・キリストが来る!」と語られていますし、新約は「イエス・キリストが来た!」と語っていますので、そういう分類の仕方もありますが、もし、どこかで聖書を分類するとしたら、私は、創世記1章〜11章までと、創世記12章からヨハネの黙示録22章までで分けたいと思います。

その詳しい理由は後日にさせて頂いて、聖書を二分したところに出てくるのが、アブラハムですが、その生涯は、聖書で読むだけでは想像できないような波乱万丈の生涯であったと実感させられました。

あの当時、住み慣れた地を離れて旅をするのがどれほど大変な時代だったことでしょうか。

目に見えない神様の声を聞いただけで、それに従ったアブラハムの決断はすごかったと思います。

『【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」』(創世記12:1〜3)

アブラハムは、どこに行くのかも知らずに、『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。』と言われて、家族や甥のロトらと共に旅立ったのです。

私は、東京の品川区に生まれ、20歳の時に、父の家を離れ、東京の東村山にある全寮制の神学校に入学しました。これは私なりには大きな決断でしたが、アブラハムの決断の足元にも及びません。

その後、アメリカ留学をし、帰国後には、東京の渋谷区に約3年間住み、すぐ隣の新宿区に移住し、それから14年間住み続けています。

もし神様が、『【主】は菅野直基に仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」』(菅野直基への手紙12:1〜3)と言われたら、すぐに「はい!」と答えて、引越しの準備ができるだろうか?

アブラハム一行の旅は、非常に過酷なものでした。疲れ果て、弱って、亡くなる者もいました。

安住の地を求めてエジプトに行くと、命を守るために、女好きの王様に妻を差し出さざるを得ない状況が待っていました。神がエジプトに災いを送られたので、妻は無事に戻りましたが、この試練も並々ならぬものでした。

さらに、神は「わたしはあなたを大いなる国民とする」と言われましたが、アブラハム夫婦は年老いていた上に、子がありませんでした。仕方なく、奴隷の女のハガルを通して、イシュマエルを産みました。

その後、神の使いによって、「あなたの妻サラを通してイサクという子が生まれ、その子を通して、星の数、砂浜の数のように多くの子孫を与える」と約束されました。妻のサラは、それを聞いて笑いました。しかし、その一年後に、「笑う」という意味の「イサク」が与えられました。

その後、奥さんがアブラハムに、「奴隷の女ハガルとイシュマエルを追い出してほしい」と願いしました。それは、神の御心であると知って、アブラハムは、ハガルと息子イシュマエルを追い出しました。これがどれだけつらいことであったかを、映画を通して知らされました。

※ごく簡単に言えば、「イシュマエル」の子孫は現在のイスラム教の人々、「イサク」の子孫はユダヤ教の人々と言えます。中東のパレスチナ問題は、ここに確執の根があるのです。

アブラハムは、一人だけ残されたイサクを溺愛し、大切にしすぎていました。神はそれを快く思わなかったのでしょう。

ある日神がアブラハムに、「あなたの息子イサクをモリヤの山で、全焼の生贄として捧げよ。」と命じられました。

文章で読むだけとは違う光景でした。愛する一人息子を殺して、背負わせた薪の上に乗せて、全焼の生贄にするなんて、考えられないほどの試練だったと思います。

昨晩は、心揺すぶられ、心が震えながらその映画を見てから休みました。

水野晴郎の「いやー、映画って本当にいいもんですね〜」という名言を思い出しましたが、単に良かったというのではなく、心がえぐられ、深く考えさせられた意味で、良かったです。

そして今日は、いろいろな仕事もありましたが、説教準備もしました。

昨晩から今日の夜まで、聖書漬けの一日でした。

説教準備は、私の心の状態を整えないとできない仕事です。

いくら聖書の知識や知恵を頭で理解していたとしても、それで準備ができるものではありません。

昨晩のアブラハムの映画を見た時のように、聖書の言葉と聖書の内容によって、私自身の心が砕かれ、粉々にされ、料理されていないと、準備は進みません。だから、ある時は、何時間も準備が進まないこともあります。

しかし、最後は、アブラハムが息子イサクを捧げたように、私自身をイエス様の十字架に捧げきられたことがわかる瞬間が来て、その時から準備が動き始めます。

『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。』(ガラテヤ2:20)

牧師として、長年神学を修め、毎週説教を語っているのだから、説教準備くらいパパッとできるようになってもいいのですが、キリストと共に十字架に付けられ、古い自分が死に、キリストと共に復活していないと、準備ができないのです。もちろん、語ることも同じですが、準備は、血の汗滴るような思いです。

しかし、準備が終わった後の充実感は、何にも例え難く、何にも代え難いものです。

『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。』(ヘブル4:12)

この世の中の目に見えるものすべては、やがて朽ち果てていきます。しかし、何が変わっても変わらないものがひとつだけあります。

『この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。』(マタイ24:35)

これだけでもすごいですが、聖書はさらに語ります。

『まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』(マタイ5:18)

聖書の言葉は、天地が滅びても、つまり、全宇宙と地球が滅亡したとしても、決して滅びることなく、さらに、律法の中の一点一画であったとしても、全部成就されるのです。

一番確かなものは、「聖書の言葉だ」というのです。

聖書の言葉を土台とし、聖書の言葉に根ざし、聖書の言葉に浸り、聖書が語る神と共に生きていきませんか?

私は、そんな最高の人生を見出しました。

その喜びを、みなさんに伝えたいと思って、今日も文章を通して発信しています。

今日もお疲れ様でした。そして、読んで下さってありがとうございます。

神様の祝福を祈ります。

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