http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16135 (写真入り記事)
今日の午前は、たくさんの雨が降りました。車にギターや荷物を積んでいたら、びっしょり濡れてしまいました。
『イエス様、恵みの雨に感謝します!』と祈りました。
そう祈ると、うっとうしい雨ではなく、心も体も潤してくれる恵みの雨になりました。
声のかれがまだ治らないので、空気が乾燥しているより、このような日の方がありがたいです。
今日は、一日出かけっぱなしでした。
(1) 祈祷会に参加し
(2) 2つの会議に参加しました。
1、神の導きを受ける。
祈祷会に参加すると、私は水を得た魚のようになります。
私の一生は、祈って行動し、祈って行動し、祈って行動しながら生きていきたいと思います。
伝道者ビリー・グラハムは、『私の遺言は、第一に祈りなさい。第二に祈りなさい。第三に祈りなさい。』と語りました。
私も、家族や友人知人、教会員たちに、同じ言葉を残したいと思います。
自分の経験で、いつもと同じように同じことをするとしても、まず私は祈りたいと思います。
祈った上で行動に移りますが、ある時は、『やめなさい!』と答えが返ってくることもあります。『待て!』と言われることもあります。
『行け!』『やりなさい!』ばかりが祈りの答えではないのです。
時には、神が沈黙されることもあります。その時私は、ただ黙って神を待ち望みます。
2、自分で出来ることは行う。
祈りの結果、今すぐできることは、理由がなければ、後回しにしないで今すぐに行います。
このように、神に導かれる順番で、仕事を片付けていけば、一日の終わりに充実感を感じることができます。
そして不思議なのは、仕事が終わると、都合がいいように次の仕事が入ってきます。神様が私の仕事をマネージメントして下さっているとしか思えません。
神様に仕事を任せていただけるように、今できる仕事は今終わらせます。
そういう習慣が身についたので、毎日インターネットを通して文章と写真を投稿することができます。
3、自分にできないことは神に委ねる。
できることは自分の手で行いますが、手に負えないような仕事もあります。
聖書には、『イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』(マルコ16:15〜18)と書かれています。
これはイエス様の至上命令である大宣教命令です。この命令を自分の力で行える人がいるでしょうか?
この命令を受けた弟子たちは、当時数える程しかいませんでした。しかし、弟子たちだけがこの命令に従って伝道を開始したのではありませんでした。聖霊である神ご自身が共に働かれました。
これが、『自分にできないことは神に委ねる。』ことです。
実は、2の『自分で出来ることは行う。』も、3の『自分にできないことは神に委ねる。』も同じように、神と共に行うのです。
2の『自分で出来ることは行う。』は、それをやることが神の導きだと知ったならば、『神様助けて下さい!』の祈らずに、すぐにやったらいいのですが、3の『自分にできないことは神に委ねる。』例えば、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」という命令に対しては、自分の力を捨て去り、徹底して神にやって頂くことが大切です。
みなさん、不可能にぶつかったら、神の出番です。その直前までは自分が主人公だったかも知れません。しかし、そこからは神が主人公です。神に登場していただき、神の主権の中で進めていただき、神が導かれた時に神のお手伝いをするのです。
今日は、午前中から出かけ、夜9時過ぎに帰宅しました。
祈祷会を途中で抜け出して、大会の会議に参加しました。これは報告と話し合いでした。会議では、神に祈りますが、一人の人間として報告を聞き、自分の意見を率直に話す場です。もちろん、会議の時間は貴重ですので、祈りながら、的外れな発言は控えるべきですし、神から与えられたアイデアがあれば大胆に発表するべきです。だから祈りは必要です。しかし、これは、2の『自分で出来ることは行う。』の領域です。
よく考えてみれば、自分の力ではどうしようもないことはいくらでもあります。
『過去と人は変えられない!』と言われます。
過去は仕方ありませんが、人もこちらが思った通りに動くことはまずありません。
人間関係も、いつは神の助けが必要です。
今朝は、あいさつについて触れました。
今日は、少なくても60人以上の人と個人的に会って話をしました。そのほとんどの人は、私のあいさつに答えてくれました。
しかし、あいさつを避けてパーっといなくなってしまう人が数人いました。
そんなきとで一喜一憂しても仕方ありませんが、寂しいですね。
私は、いくら最高の笑顔で、最高のあいさつをしたいと思っても、相手が『この人と関わりたくない!』と思っているとしたら、それを変えることはできません。祈るしかありません。その人の心を変えられるのは神だけです。
そしてもう一人、私の傷ついた心をいやすのも神だけです。
人間関係で無視されたり、敵意を表されたり、いじわるされたとしたら、どんなにポジティブに考えても、私の心は痛み、悲しみ、落ち込みます。しかし、神に祈るなら、不思議と心がいやされていき、相手に好意を持つことができます。
もしかしたら、私を無視したのではなく、気づかなかっただけかも知れません。誤解で勝手に心が傷つくこともあります。しかし、好意を持つことができるなら、心がいやされただけではなく、心が傷つくことはありません。
どうぞみなさん、『第一に祈り。第二に祈り。第三に祈りましょう。』
1、神の導きを受ける。
2、自分で出来ることは行う。
3、自分にできないことは神に委ねる。
どんな時にも祈りましょう。
祈りについて教えられ、考えさせられた一日でした。
お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。
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