http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16110 (写真入り記事)
少し前の話ですが、高速道路を車で100km前後で走行していた時、突然、「バチン!」という大きい音がしました。
パチンコ玉くらいの大きさの小石が窓ガラスを直撃しました。
窓ガラスの一部が割れましたが、怪我なく、走行にも支障がありませんでした。
これがバイクだったら、ひとたまりもなかったかも知れません。
もっと鋭利な石だったとしたら、窓は粉々に割れていたかも知れません。
窓ガラスが割れた位置は私の顔の真ん前でした。窓ガラスが私の身代わりとなって、私を守ってくれました。
後で、格安のガラス屋さんを見つけて交換しましたが、車を運転しながら、窓ガラスの傷がどうしても気になりました。ちょうど目線に入るからです。
窓ガラスの傷を見ながらイエスさまの十字架を思い起こしました。
聖書は、「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(ヨハネ第一の手紙3章16節)と書かれています。
イエスさまは、私たちの身代わりとなって十字架にかかって死なれたのです。
すべての人は、生まれながら罪人としてこの地上に誕生しました。TVのニュースで取り上げられるような極悪人と比較したら、あなたははるかにいい人でしょう。しかし、罪は比較の問題ではありません。
なぜ生まれつき罪人なのか? 人間の先祖であるアダムとエバが代表して罪を犯してしまいました。そこで責任転換をしても、罪人である事実がなくなるわけではありません。
例えるとしたら、生まれながら底なし沼に片足をつっこんだまま生まれてきたようなものです。そして、どんなに長くても120年、平均70〜80年で底なし沼に完全に沈み切り死にいく存在です。
そんな絶望的な人間を救ってくれる方は一体どこにいるのでしょうか?
多くの宗教があり、立派で真面目な宗教家はたくさんいます。
しかし、立派で真面目だけではどうにもなりません。底なし沼にはまった人は、自分自身ですら救うことはできません。まして、人様を救うことは不可能です。
そこで、神のひとり子イエスさまが人間の姿を取ってこの地上にこられました。これを祝う祭りがクリスマスです。
イエスさまは、私たちが溺れかけている底なし沼の中にまで入ってきて、私たちを救い出し、代わりにご自分が死なれたのです。
聖書は、恩着せがましく、「救ってやったんだぞ!ちょっとはありがたく思え!!」というのではありません。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と、その事実を指し示します。
世界には、その救いを信じて受け取った人が20億人以上います。日本では100万人以上います。
もうあなたは、その救いを受け取りましたか?
救いを受けた人は何も心配する必要はありません。どんなに大きな問題があったとしても自分のことを悩むエネルギーを使って、救われていない人に、イエスさまの愛を伝えてください。
イエスさまの救いを受けていない人を、「未信者」という言い方をします。これは、「未だ信じていない者」という意味もありますが、私は、「未来に信じる者」と考えています。
イエスさまは、私の顔を小石の直撃から守ってくれた窓ガラスのように、あなたを罪と死から救い出し、守り、永遠のいのちを与えてくださいます。
今日も良い一日でありますように。
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