http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16092 (写真入り記事)
今日も充実した一日を過ごしました。『充実した』というのは、必ずしも『思った通りにことが運んだ』ということではありません。むしろ『思った通りにならないにもかかわらず、良い一日だったと感じられること』です。
毎朝私は、神に祈って、『したいこと』ではなく、『すべきこと』に目を向け、神様と相談しながら優先順位をつけます。
今日は、7つの項目を掲げましたが、そのうちの4つを行い、2つはできませんでした。しかし上出来です。重要なもの2つできたらそれで『良し』とします。
ここで、『すべきこと』ではなく、『したいこと』を掲げたらどうでしょう。もしかしたら、14項目をかかげて、そのうちの14個ずべてを行えても、本当に重要な2つがその中に入っていなかかったとしたら、『片手落ち』であり、『不十分』であり、『充実した一日にはなりません』でした。
2つは、他の仕事で時間がなくなってしまったのでできませんでした。
1つは、『祈りの祭典』という集会に参加できませんでした。もう1つは、『19時までに電話する必要のある要件』をすますことができませんでした。
何にも問題ありません。明日やればいいのです。
そういえば、明日はユーザー車検に行く日です。もし、車検がすぐに終わったら、その後に、今日したかったけれど、できなかったことをしたらいいのです。
私の人生において、神との関係が第一であり、すべてです。神との関係が築かれ、神との関係で一日を生きたとしたら、いつ死んでも本望です。つまり、私にとっての神は『The』という定冠詞がつくお方であり、絶対的なお方です。
聖書には、次のように書かれています。
『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。』(出エジプト20:3)
『この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。』(使徒の働き20:3)
私は、100%そのまま信じています。
しかし、同じように信じている人もいますが、『そうは思わない!』という人もいます。『そう思わない!』という考え方を否定しません。尊重します。
私にとって神は“the(唯一神)”です。しかし、事実がどうのこうの以前に、そう思わない人にとっての神は“a(神々の一人)”以上ではありません。
使徒パウロは、聖書が教えていない『男尊女卑』や『奴隷制度』を推奨するかのような発言をしている箇所があります。しかし、推奨しているのではありません。そういう文化を否定しなかったのです。
パウロは、『本質以外は寛容』でした。
『パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。」』(使徒の働き17:22〜23)
その人が大切にしているものを否定してから、キリストを伝えても、その時点で心は閉ざされています。まずは、目の前にいる人をありのままで受け入れ、尊重する心を大切にしたいです。
しかし、教会に来られた人々や、『聖書を知りたい!』『聖書を深く学びたい!』という人には、ダイナミックに語ります。
キリストは、群衆にはわかりやすいたとえ話を使って話し、弟子たちにはストレートに教えられました。
愛とは、十把一絡げにせず、一人ひとりと向き合い、その人が必要とし、その人が受け止められる言葉を語ります。
家族と、教会のみなさんと、出会う人たち、そして、ネットで心を通わすみなさんを大切に思い、愛しています。その思いを言葉や文章を通して伝えたいです。
大切なあなたへ、愛しています。
一日お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。おやすみなさい。
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