http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16065 (写真入り記事)
東洋医学でよく『好転反応』という言葉が使われます。あん摩では揉み返し、鍼灸では瞑眩(めんげん)と言われたりします。
疲れていた筋肉がほぐれ、溜まっていた老廃物が血液に流れるなどして、ほてり、だるさ、眠気、発熱、下痢、発疹、咳などの症状が出ることを言います。
つまり、体の中にあった毒素が体外に出されるまでのしばらくの間、かえって具合が悪くなることがあります。
私がプロポリスを飲みはじめた頃、体に好転反応が現れて、一時的に体の不調を感じました。しかし、しばらくしたら疲れにくくなり、体の調子が良くなっていきました。
私は、いくつかの祈祷会を主催したり、関わっていますが、特に、真剣に祈る祈祷会では、霊的な好転反応が現れることがあります。
ある日、ニコニコして宗教的な雰囲気を持つ人が毎週祈祷会に参加するようになりました。
回を重ねるごとに、その人の本性が現れるようになり、悪霊につかれていることがわかりました。
被害妄想が強く現れ、『神の声を聞いた』などとおかしなことを言うようになり、ついに醜い姿を露わにしました。
ニコニコした宗教的な雰囲気は、仮面だったのです。
神に祈っていると、仮面がはがされ、神の光が差し込み、本当の姿が顕になり、悪霊が潜んでいると正体を現します。
その姿を見ていると、祈祷会に来たことでかえって悪くなったように感じますが、そうではありません。隠されていただけで、もともと悪い性質はあったのです。
ここで難しいのは、人は本来自分を変えたくないという性質を持っています。
悪い醜態を認め、神様に『私をいやし、解放して下さい!』と祈るなら、その人は、その人本来の姿に近づけられ、自由になります。
『そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。』(ヨハネ8:32)
しかし、本当の自分を認めず、頑として『自分を変えたくない!』という態度を取るならば、かえって悪い状態になることがあります。
『汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。そこで、「出て来た自分の家に帰ろう」と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住み着くのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。』(マタイ12:43〜45)
人間はロボットではなく、人格を持った神の愛の対象として造られました。
ある人は、『神は、なぜ人に罪を犯す可能性を与えたのか!?』と疑問を持ちます。
神は、人をボタン一つで言うことを聞くロボットとして造られたのではなく、自由意思を持つ人格を持った存在として造られました。そこには、自ら愛することを選ぶ自由とともに、自ら罪を犯す自由も与えられました。
神は、人に自由意思を与えたゆえに、『神様、私を助けて下さい!』と願わない限り、無理やり人を救うことができません。
私たちは、例外なく罪という病気にかかっています。
罪という病気を宗教で救うことはできません。宗教は、『こうしなさい!』『ああしなさい!』としか教えないからです。
病院に来た病人に、『あなた元気になりなさい!』『健康になりなさい!』と言って何になるでしょう?
医師は、『あなたは病気です。だから治療を受けなさい』と言うべきです。
検査を受けたり、手術を受ける前に、『問題が起きても責任を問いません』というような内容の書面にサインをさせられました。
それは、医師に『お願いします!』という姿勢です。
『やめてー!』というのに、ロープで縛り付けて、勝手に麻酔をうって治療をする医師がいたとしたら、問題です。
神様は、『私をいやして下さい!』と私たちが祈るのを待っておられます。
人は、神に近づいた時に、二通りの反応を示します。
罪という病気にかかっているという事実に直面させられた時に、認めて、『神様お願いします!』と一歩踏み出す人と、認めず、退いていく人がいます。
人は、認めても認めなくても、罪という病にかかっています。
その病を認めたならば、それを自分の力で解決できませんので、神様のもとに来るほかに道はありません。
罪が顕になるという好転反応が、人を二分します。
どうぞ、『神様、私を救って下さい。私をいやして下さい。私を助けて下さい』と祈りませんか?
今日の祈祷会でも、そのような好転反応が現れている人がいます。
そこで、自分を認めず、祈祷会から離れていく人もいますが、認めて、良い方向に変えられ成長している人をたくさん知っています。
神様は、完全にいやし、解決を与えて下さるお方です。
ともに、神様という世界一の医者に治療して頂きましょう。
『イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。』(マタイ9:12〜13)
一日お疲れ様でした。おやすみなさい。
また明日お会いしましょう。
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