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2015年09月27日16:16

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「雨上がり」宮迫博之、土下座して引き留めた女性マネジャーへの恩


 芸人、タレント、司会者、役者、歌手と幅広く活動するお笑いコンビ「雨上がり決死隊」の宮迫博之さん(45)。広大なフィールドを駆け回る宮迫さんの起点となったのは、ある女性マネジャーとの出会いでした。「マネジャーが配置換えになりかけた時には、吉本興業の社長に土下座して引き留めた」と“恩人”への思いを語りました。
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 恩人かぁ…。恩人、ホンマにたくさんいますからね。もちろん、お笑いの先輩方にはムチャクチャお世話になってるんですけど、そこは言わずもがなとすると…、小池というマネジャーがいましてね。

 今から17〜18年前、東京に出てきたものの、仕事も全然なかった。とにかく、どうしようもない時期でした。そんな中、初めて「雨上がり決死隊」専属の担当としてついたのが小池という女の子やったんです。

 のちに“吉本一の美人マネジャー”という肩書もつくくらい、本当にかわいらしい子で、最初、僕らについた頃はどこのテレビ局に行っても、「逆や」と思われてましたもん。小池がタレントで、僕らがマネジャーやと(笑)。

 その子がお芝居関係に詳しい子で、やれ、どの監督がいいとか、どの作品にどんな意味があるだとか、いろいろと話を持ってきてくれたんです。当時、僕は何よりお笑いのバラエティーにたくさん出たいと思っていた時期なんで、話を持ってきても「今、そんなことやってる場合ちゃうねん」と。ただ、それでも、実に粘り強く「この監督はこういう賞をとってらして、今後、絶対に大成する人です。この作品を宮迫さんがやったことは近い将来大きな意味を持つようになります」などとすごく熱心に言い続けてくれて。そこから、演技のお仕事もするようになっていったんです。

 2000年、野田秀樹さんの舞台「NODAMAP カノン」に出していただいた時も、ちょうど「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ系)とか、いろいろなバラエティー番組に出られるようになってきたところだったので、小池とかなりぶつかりました。ただ、今から思うと、だいぶ年上の僕をよく説得してくれたと思います。

 実際、お笑いコンビ「雨上がり決死隊」宮迫という名前よりも、ドラマなどで宮迫博之という名前を知ってもらった人がたくさんいらっしゃいましたし、確実に、演技の仕事はターニングポイントになりました。


…あとね、当時の僕、クソほどダサかったんです(笑)。ファッションに本当にこだわりがなくて「着るもんなんて、何でもエエやんけ!!」と。ジャージーにわらじをあわせて履いていたくらいですから…。そこに対しても、小池が「テレビに出ている時だけでなく、普段の格好から気にされた方がいいです。そうしないと、空気がなじんでいかないです」と。小池自身が“吉本のオシャレ泥棒”と言われるくらい、流行の最先端を取り入れたオシャレな子でしたからね。一式、小池がコーディネートしてくれてました。

 ファッションで外見が変わったのにプラスして、中身というか、考え方も変わりました。以前は、人見知りがひどかったのもあるし、とにかく閉ざしてたんですよね。若さゆえのツッパリもあったんでしょうけど、スタッフ飲み会とか、打ち上げなんて行く気はサラサラなかった。それが、変わりましたね。「そういうところも、ちゃんとした方がいいです」と小池に言われて。

 なんで、そこまで小池の言葉がスーッと当時の僕に入ってきたのか。その頃は、僕らもどん底の状態で、そこで「一緒に売れていきましょう」と言ってくれたのがうれしかったんですけど、本当に、本当に、よくやってくれてたんです。

 吉本って、自宅から仕事場への送り迎えはないんですけど、小池がついてる間は小池の車でずっと送ってくれてたんです。アカンのですけど、僕は劇的に遅刻するんで…。そら、大変やったと思うんです。だんだん仕事が増えてきて、僕自身、寝られないくらい忙しい日もありましたが、その送り迎えをするということは、小池はもっと寝られないわけですからね。運転中に気を失うという、あってはならないこともありましたけど(笑)、そらね、怒れないです。メチャメチャ感謝しかないです。

 結局、10年ほどついてくれたんですけど、ついて5年目くらいの時ですかね。「救命病棟24時」(フジテレビ系)とか、僕がいろいろドラマに出だした頃でした。やっと、芝居方面のつながりもできてきた時に、異動で小池が僕らから離れるとなったんです。それを聞いて、すぐさま、今の吉本興業社長の大崎洋さんと僕と小池で食事に行かせてくれと。レストランに行って、僕、土下座しました。「今、替えんといてください!!今、替えたら、吉本的に損です。ドラマや映画の世界とつないだパイプが切れてしまいますし!!」とひたすら頭を下げました。結果、小池は僕らのマネジャーやりながら、新たに俳優部の担当にもなるという形に落ち着いたんです。

最終的には、映画の助監督さんとの結婚をきっかけに小池は吉本を辞めていくんですけど、会社を辞めろと言ったのは、僕でした。

 助監督さんと付き合ってる段階から、フラフラになってたし、できる子やから何でも任される。また断らないから、どんどんやることが増えていく。なので「辞めて、自分の人生をちゃんとできる状態にせなアカン」と言うたんです。本当によくしてくれたし、今でもあんな敏腕な人は見たことない。本当に、助けてもらいました。だからこそ、小池のことを思ったら、辞めろと言ったんです。

 でも、一つ思ったのが、結婚して子供が産まれたんですけど、逆算したら「あいつ、あの忙しい中、セックスしてたんや」と…。どんだけ体力あんねん、マジかと(笑)。

 小池が離れてから、やっぱり、小池はすごかったんやなと思い知らされました。ポンコツマネジャーも中にはいましたからね。

 僕とマネジャーがタクシー乗ってて、マネジャーに電話がかかってきたんです。大事な仕事の連絡やったんで、メモをとらないといけないのに手持ちのメモがない。なので、困り果てて、ポケットから紙を出したかと思ったら、5000円札にメモってるんです。全然余白なんてないのに。ほんで、目的地着いたら「ウワー…」と声を挙げよるんです。「どないしてん?」と尋ねると、「すみません、さっきの5000円で払ってしまいました」と。…そらね、ストレスしかなかったです。僕の中ではね、ポンコツマネジャーのせいでガンになったと思ってますからね(笑)。

 辞めてから何年も経ちますが、小池には会ってないんです。今でも、相談しようかと思うこともあります。「この作品、出た方がいいと思う?」とか。ただ、今、それをしたら、お門違いやなと思って。

 ま、恩返しなんてことがもしあるんやったら、ずっと、テレビに出続けることですかね。小池が作ってくれた道やから、そこを歩き続けることが、少しでもそうなったらいいなと思っています。

■宮迫博之(みやさこ・ひろゆき)1970年3月31日生まれ。大阪府出身。大阪NSC7期生。89年、蛍原徹とお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成する。コンビとしてABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞、上方お笑い大賞銀賞、上方漫才大賞新人奨励賞などを受賞。また「FUJIWARA」「ナインティナイン」らとのユニット「吉本印天然素材」として人気を博す。お笑いのみならず、俳優としても活動し、フジテレビ系「救命病棟24時」、映画「20世紀少年」など出演多数。2012年、早期胃がんの手術を受けた。テレビ朝日「雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!」、TBSテレビ「炎の体育会TV」、フジテレビ「バイキング」、朝日放送「松本家の休日」などに出演。DVD「松本家の休日DVD2」が発売中。特典映像として、完全未公開の“松本家のウラ話”が収録されている。







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