http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15973 (写真入り記事)
今日の日曜日も、教会で充実した一日を過ごすことができました。
いつも来られている方が、体調を崩されたり、帰省されていてお休みでしたが、久しぶりの方々が来られました。
牧師になって14年(伝道師になって18年)になりますが、一日たりとも同じ礼拝はありませんでした。毎回、神様が呼んで下さった方々と礼拝をし、礼拝の後に交流(交わり)をし、素晴らしい時間を過ごしました。
クリスチャンの人生の中心は、ある意味、日曜日の礼拝です。教会で神様を礼拝して一週間が終わり、一週間がはじまります。
「お帰りなさい!」「行ってらっしゃい!」と言葉を使わなくても、心の中ではそのように迎え、送り出します。
教会員は神の家族ですから、朝早く、「先生、今日は教会に行けません!」とメールが来ると、とても寂しい思いになります。
しかし、私の個人の感情よりも、その方の都合がありますので、体調が悪いなら、健康の回復を祈ります。仕事が入ったならば、その仕事のために祈ります。
しかし、神様が、教会に集まって捧げる礼拝を喜んで下さるので、「日曜日の礼拝を最優先して集まって下さい」と伝えます。
私がクリスチャンになった頃、教会には「聖日厳守」という言葉がありました。
「何があっても礼拝を休まないようにしましょう!」と教えられました。
アメリカでは、オリンピック選手が日曜日の本大会を欠場して、教会の礼拝を優先させたという美談があります。また、大統領選挙の真っ最中に、教会学校の先生をし、礼拝をするために選挙活動を中断したという英断が語り継がれています。
確かに、神様を優先する人は祝福されています。
礼拝を守ることや、喜んで神様に献金を捧げることは、神を愛し、神を信じていなければできないことです。
「仕事があります!」
現代の免罪符です。誰も反対できませんし、家庭の中で、「今から仕事がある」と言えば、すべてを置いて出かけても文句は言えません。
仕事を大切にする人を尊敬します。しかし、仕事以上に神を大切にし、礼拝を大切にしてもらいたいなーと思います。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイの福音書6:33)
神を第一にする人は、第一のことを第一にできる人です。その人の人生における必要は満たされ、豊かに祝福されます。
忙しくなければ、疲れないし、何かを犠牲にして、何かを選ぶという必要はありません。
現代は、神を第一にすることが難しいと思います。しかし、難しいからこそ、価値があると思います。
私の友人で、国の下請けの工事をする会社の経営者がいます。そのような業種で、日曜日に仕事をしないとしたら、通常、他の会社に仕事を持って行かれてしまいます。
ある日、「日曜日には絶対に仕事をしない! 必ず教会に行く!」と決断したそうです。
不思議なことに、それ以来、大切な仕事で「日曜日に仕事をして下さい!」という仕事の依頼が入らなくなったそうです。そして、あらゆる面で考えられないくらい祝福されたそうです。
誰を、何を第一にするか。それが明確なら迷いはありません。豊かに祝福されます。
そんな人生を歩みたいと思いますし、そんな人生をおススメしたいと願いつつ、今日の「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉」とさせて頂きます。
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