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2015年08月13日02:51

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日航123便が群馬県に墜落した10年後、米軍の準機関紙に掲載された記事が日本政府に与えた影響

《櫻井ジャーナル》

天下兼相愛則治、交相惡則亂(墨子、巻之四)
順天意者、義政也。反天意者、力政也。(墨子、巻之七)
天下有義則治、無義則亂。(墨子、巻之七)

天下は人々が相愛すれば治まり、互いに憎しみあえば乱れる
天意に従う者は義に従って正す。
天意に背く者は強制する
天下に義があれば治まり、義がなければ乱れる

#1『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』三一書房、2005年

OPC

三一書房創立60周年記念出版。アメリカの権力者が行なってきた戦後の秘密破壊工作(テロ活動)の実態を具体的に検証する。
「読書人」「共同通信」など各誌賞賛。
自分のいる足場に深淵がひらくような衝撃にみちる一冊。
付録としてキューバ侵攻作戦の「機密文書」収録、秘密破壊工作に関する全事項と関係者をインデックス化。人物ダイヤグラムも多数。

#2 『アメリカ帝国はイランで墓穴を掘る』洋泉社、2007年

イランの問題はイスラエルの問題と表裏一体の関係にある。
イラン攻撃を狙うアメリカの新保守/神保守(親イスラエル派)は勢いを失ったが、消え去ったわけではない。
イスラエルに軍事強硬派政権が存在し、プーチンにロシアから追い出されたエリツィン時代の「富豪」もロンドンとイスラエルを基盤に暗躍する。


日航123便が群馬県に墜落した10年後、米軍の準機関紙に掲載された記事が日本政府に与えた影響

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 日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落してから8月12日で30年になる。羽田空港を離陸して伊丹空港へ向かっていたこの旅客機には乗員乗客524名が搭乗、そのうち520名が死亡している。

 この出来事でも運輸省航空事故調査委員会が報告書を出しているが、例によって信頼できる内容ではない。

例えば、「ボーイング社の修理ミスで隔壁が破壊された」というシナリオを正当化するため、医学的常識は否定されている。

 隔壁が破壊されたなら急減圧があったはずだが、機長は酸素マスクをつけていない。

異常が発生してから約9分後でも123便の機長は酸素マスクをつけていないのだが、手の痙攣や意識障害はなかった可能性が高いのだ。

 急減圧しても酸素マスクをつけなければ、3分程度で小学校1年の国語教科書を読む速度が遅くなり、6分30秒を経過すると手に痙攣が見られるようになり、チアノーゼで指先が紫色に近くなることがわかっている。

その当時に出されていた運輸省航空局(現在は国土交通省航空局と気象庁)監修のAIM-JAPAMによると、2万フィートでは5から12分間で修正操作と回避操作を行う能力が失われ、間もなく失神してしまうとしている。

 しかし、その件に関し、調査で急減圧実験を担当した自衛隊の航空医学実験隊に所属していた小原甲一郎は、急減圧があっても「人間に対して直ちに嫌悪感や苦痛を与えるものではない」と主張した。

説得力は全くない。つまり急減圧はなく、隔壁の破壊が墜落の原因ではない可能性が高いということだ。

 では、何が原因だったのかということだが、墜落直前に撮影された航空機の写真を見ると尾翼が消えている。

事故原因を探るため、尾翼を探す必要があり、相模湾周辺の海底を念入りに調べなければならないのだが、運輸省(現在の国土交通省)は調査する意思はなく、尾翼の約7割は回収されていないようだ。

 ところで、123便に異常事態が発生したのは羽田空港を離陸した12分後の18時24分。

コックピットから東京管制部へ羽田へ戻りたいので、2万2000フィートまで降下したいと連絡、すぐに「操縦不能」と伝えている。

そして18時58分に墜落。

 その当時、近くをアメリカ軍の輸送機が横田基地に向かって大島上空を飛行中で、日航機の管制に対する最初の緊急コールを聞く。

18時40分のコールは叫び声のようで、尋常ではないと判断した乗組員は横田基地の管制から許可を受けた上で日航機に接近を図り、墜落地点を19時20分に特定、報告している。

運輸省に捜索本部が設置されたのは墜落地点が特定された25分後の19時45分。捜索を始めた時点で日本政府は日航機の墜落現場を正確に把握していなければおかしい。

 米軍機が墜落現場に到着した直後、厚木基地から海兵隊の救援チームのUH-1ヘリコプター(ヒューイ)が現地に向かい、20時50分には現地へ到着、隊員を地上に降ろそうとしたのだが、このときに基地から全員がすぐに引き上げるように命令されたという。

日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。

 命令を受けた後もアメリカ軍の部隊は現場にいたのだが、21時20分に航空機が現れたことから日本の救援部隊が到着したと判断、その場を離れている。

ところが、日本の捜索隊が実際に墜落現場に到着したのは翌日の8時半。

10時間以上、救援が遅れたことになるのだが、この遅れがなければ生存者も増えていたと言われている。

この輸送機の話は1995年8月に「星条旗」で報道された。

C-130に乗っていたマイケル・アントヌッチが当時の状況を詳しく説明している。

墜落直後には箝口令が敷かれていたのだが、なぜアメリカ軍の準機関紙に証言が載ったのか?

 1994年に細川護煕政権の諮問機関「防衛問題懇談会」が「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」というタイトルの報告書を発表、それに反発した国防大学のスタッフ、マイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、1995年2月の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」につながる。

 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになる。

「周辺事態法」が成立した1999年にはNATOがユーゴスラビアを先制攻撃した。

 2000年にナイとリチャード・アーミテージを中心とするグループが作成した「米国と日本−成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」では武力行使を伴った軍事的支援が求められ、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」と主張、「この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる」としている。

2001年9月11日の出来事をはさみ、2002年に小泉純一郎政権は「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案を国会に提出、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明した。

2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大し、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。

2012年にはまたアーミテージとナイが報告書を発表、安全保障関連法案につながっている。

日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれる流れの出発点に「星条旗」の日航123便墜落に関する記事はある。

これは偶然なのだろうか?

「星条旗」の記事を日本のマスコミは重要な事実を隠して伝えた。

「星条旗」にも触れられていないが、墜落の原因をアメリカは知っていて、日本政府に対する恫喝になる内容だという可能性もあるだろう。


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