http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15910 (写真入り記事)
暑い暑い一日になりました。大変な猛暑日だったと思います。
朝の礼拝には、facebookで親しくしている2人の方をゲストとしてお迎えし、礼拝を捧げることができました。感謝でいっぱいになりました。
しかし、調布からこられている教会員は、午前11時ころ自宅近くに小型飛行機が墜落して、気が気じゃなかったと思います。しかも、友人が亡くなった可能性があると知って、電話対応に追われ、礼拝の最初と最後はしっかり参加しましたが、途中は、礼拝堂から抜け出して、電話対応に追われていました。
恐ろしいですね。暑いのでクーラーを効かせて家でゆっくりしていたら、突然大きな音が聞こえて、さらにその音が近づいてきて、最後は、頭上から飛行機が墜落してきたのですから。共に神様の守りを祈りました。
朝の礼拝が終わってから、今日は息子と2人で牛丼屋にいきました。中国のしゃきしゃきした活きのいいお姉さんが、「息子さんですか? 似ていらっしゃいますね!」と声をかけてくれました。
この地域には、アジア系の外国人が多く働いておられます。日本人が外国人と接すると、「日本の常識、世界の非常識。日本の非常識、世界の常識」という点が多々ありますので、気分を悪くすることもありますが、反対に、斬新で、気分転換になって楽しい面もたくさんあります。
キリスト教は、世界的宗教ですので、欧米人をはじめ、アジア系、アフリカ系の人たちとも接する機会が多く、インターナショナルの交わりに慣れていますので、楽しいと感じることが多くあります。しかしこれは、若干距離を置いて付き合うからという面もあります。
私は、韓国人女性との国際結婚をしましたので、最初はいろいろな面で戸惑い、葛藤をしました。しかし、今は、それを乗り越えたので、「良かった!」と思いますし、純粋に楽しいと感じています。
ところで、日本の主な宗教は、神道と仏教だと思います。2つは本来相反するはずの宗教同士なのに、仏教が「神も仏も同じようなものではないか!?」と、神仏習合を説いたことで、関係が良くなり、住み分けができて、仲良く1000年以上両立しています。
神道は日本の民族的宗教ですし、仏教は世界的宗教です。
これは、日本国憲法第20条の信教の自由と、それに基づく政策によるところも大きいと思います。
もし日本に、何らかの国教があり、それ以外は認めないという憲法があったとしたら、こういう神仏習合のようなことは起こりえないことですし、八百万の神々という概念を持ち続けることはできなかったと思います。
良くも悪くも、「和を以て貴しとなす」という考えがこの国の大きな特徴だと思います。
神様は、この融和的な考えを持った日本人を世界平和のために用いられるのではないかと思います。
もう一つ、日本は、キリスト教を含め、融和的な考え方ゆえ、「唯一の神」を信じる「一神教」という発想に違和感があったことも、キリスト教がなかなか広がらなかった理由の一つではないかと思います。
もし日本が、中途半端にキリスト教国にはなったとしたら、欧米的キリスト教、韓国系キリスト教など、キリスト教以外の文化や思想が混じったクリスチャンばかりになったと思います。
これが悪いわけではありませんが、日本人は頭がいいので、外国的キリスト教や宗教となったキリスト教には飛びつきませんでした。しかし、日本の文化に根ざし、初代教会のように純粋な聖書の福音ならば、日本人は次から次に飛びついて、国中に広がって大変なことになるのではないかと思います。
そして、純粋な聖書の福音を持って、日本は世界に向かって福音を宣教する国になるのではないかと感じます。
日本は、ビジネスにおいて、世界中に出て行って成功した国です。いつの日か、日本人の宣教師が世界中で活躍する日がくるのではないかと密かに夢見ています。
今、中国人は、国民の十分の一にあたる一億人以上がクリスチャンになっています。共産主義国家として驚くべきことです。
ある人は、今の中国を見て、「それだけキリスト教が広がっているのに、今の中国のデタラメな状況は一体どういうことでしょうか!?」というでしょう。
もし、キリスト教が広がっていなかったら、今の中国はなかったかも知れないと思います。
日本と中国は、決していい関係にはありませんが、中国は人口が多いのです、すばらしい人はいくらでもいます。
ここ新宿の大久保に住んでいると、素晴らしい中国人がたくさんいます。また、中国人のクリスチャンの中に素晴らしい人がたくさんいます。
私は、政治的努力だけでは、日本は、周囲の国々との外交をうまくやっていくのは難しいのではないかと思います。草の根的な交流、クリスチャン同士の交流などが、政治的に悪い関係をも打ち破っていくのではないかと思います。
ある日本人は、「仕事がない!」と嘆きます。しかし、私の住む地域では、多くのアジア系外国人が仕事をしています。「どんな仕事でも選り好みしないで喜んでやります!」という心さえあれば、仕事がないことはないと感じます。
多くの外国人に囲まれ、共生することができることを感謝しています。
クリスチャンの考え方は、「自分さえ良ければいい!」という自己中心的ではありません。
イエス様は、「友のために命を捨てること。これよりも大きな愛はない。」といわれ、イエスさまご自身が人類の救いのために十字架で死なれました。
もし、自分の娘が暴漢に襲われていたとしたら、「私は平和主義ですので、何もできません!」何ていえないと思います。
集団的自衛権の行使容認の賛否が語られていますが、私は、外国が戦争に巻き込まれている時に、「私たちは憲法九条によって定められた平和国家ですし、戦争に巻き込まれることは恐ろしいので、たとえ同盟国が攻撃されても何にもできません!」というのだけでいいのか!?ということを、自分の中で自問自答しています。
聖書は、「おくびょう者は・・・・」「私が与える霊は、おくびょうの霊ではない」と語ります。
私は、今の政治状況の中では中道です。しかし、右傾化も心配ですが、左に偏って、「反対!反対!」だけでいいのか!?ということを感じます。
私たちは、自分の国のことだけを考えるだけでいいのではありません。もちろん、戦争がどれだけ恐ろしいことなのかは、体験していなくても想像できます。
仮に、今後、憲法が改正されて、徴兵制度が作られても、今の首相や政府関係者、そして、その子どもたちが軍隊に入ることはないでしょう。軍隊に入るのは私たちの子供たちになる可能性があります。「そういう人たちによって安易に憲法を改正させてはいけない!」確かにそういう気持ちにもなります。
私は、自分の家族が殺されかけている時に、「私は平和主義ですので、何もできません!」ということが滑稽なように、外国で同盟国や、それに準ずる国々が戦争に巻き込まれている時に、「私たちは憲法九条によって定められた平和国家ですし、戦争に巻き込まれることは恐ろしいので、たとえ同盟国が攻撃されても何にもできません!」というだけでいいのだろうか!?と、私は、私の中で祈り、自問自答しています。
そして願わくは、「こうじゃなくてはいけない!」というような空気を撤廃し、自由に日本の未来を語り合える空気を生み出していかなければならないと感じています。
日曜日の礼拝から、教会員宅の近くに小型機が墜落した話から、息子と食事にいった話になり、中国人の女性から「息子さんと似てますね!」と言われ、外国の話に広がり、いつの間にか、集団的自衛権にまで広がってしまいました。連想的な文章の展開になりました。
こういう風に自由に文章を書き、発表でき場があることにも感謝します。
そして、今生かされていること、今日一日守られたこと、神様を礼拝できたことに感謝し、日本の未来のために、地球村である全世界の未来のために考え、祈り続けていきたいと思いながら、今日の「一日一シャ」とさせて頂きます。
今日は、地域の祭り第一弾の最終日でしたので、子供たちなどのパトロールのために今日も出かけて来ました。
明日は、朝から朝祷会のメッセージを頼まれましたので出かけます。早めに休もうと思います。
みなさん、暑い中、一日お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。
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