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2015年07月09日19:02

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東京まで拡大されてしまった、「ボスニア」

尾木ママ、岩手中学生いじめ自殺の学校に激怒 「これじゃ生徒殺人学校!」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=17&from=diary&id=3505940

■この文章をはじめるにあたって

多分、件の言葉は尾木氏が「義憤」にかられて発せられた言葉だと察するが、
だからといって「生徒殺人学校!」という言葉を受け容れて良いものなのだろうか?

先に結論を述べておくと「否!」である。
というのも、私のマイミクのオヤジさんが述べているとおり、
尾木氏は、迫害と排除を扇動してしまった可能性があるからだ。
そのような迫害・排除の果てに何があるのだろうか?

1990年代に猖獗を極めたボスニア紛争は、未だに僕の記憶に新しい。
隣り近所の人々、兄弟どうしが殺戮し合う内戦のさなか、ひとつの落書きが話題を呼んだ。


「BOSNIA DO TOKIA = ボスニアを東京まで拡大せよ!」



90年代後半の日本社会において、この落書きは単なる「話題のひとつ」でしかなかった。
そして、1992年春から1995年まで続いたボスニア紛争は、25万人の犠牲者を出して終息した。


ところが、重火器もなく、都市がスターリングラードやサラエボ、ブコヴァルのような攻囲戦にさらされることもなく、国民皆兵制をもとにした軍隊を組織することもなしに、そして、戦争を勃発させることもなく! 「25万人」という人数を超えて人命が喪われた国が、存在する。

云わずと知れた、我が日本である。

1990年代末から、年間3〜10万人【×10年以上・・・[滝汗]】ともいわれる人々が自殺する我が国は、犠牲者数において、紛争当事国よりも多くなってしまった。
そのような「紛争無き内戦」を生むのに、我が国においてはカラシニコフすら要らなかった。

そして、件の落書きは、次第に深刻な意味合いを持ち始める。

なにせ、「ボスニア」が東京まで拡大されてしまったのだから・・・。

今回の日記では、ボスニア紛争の話から始めさせていただこう。

「ヘイトに加わり、ヘイトを放置すれば、こうなる」

ということを、私なりに説明させていただく。
では、はじめよう。



■�.椒好縫∧響�

1973年の第四次中東戦争に端を発する第一次オイル・ショック以降、当時のソ連をはじめとする旧東側諸国は、致命的ともいえる打撃を受けた。
ユーゴスラビアも例外ではなく、経済的な不況は、ゆっくりと、しかし、確実に!彼の国の社会を荒廃させていく。
私のマイミクのオヤジさんの言葉を引用させていただくならば、

「日常的に、理不尽な排除や無視に晒され、その辛さを、誰かの迫害でしか、解消出来ないと思い込まされてる人」

が、大量にうまれる土壌が形成されていったのだった。
この段階で、ヘイトを叫ぶ民族主義団体 ——第二次大戦時の「チェトニク」や「ウスタシャ」の現代版—— の暴力を交えた主張が社会の中で説得力を持ち、ゆっくりと流通していった。

次の段階は、既存の民兵組織(ミリシア)を基にした、武装集団の結成である。
ボスニアを含むユーゴ・スラヴィア[=南スラヴ人の国]は、WW2時にギリシャ同様にナチス・ドイツに占領された。
そして日本とは大いに異なるユーゴスラビアにおいては、之に抗すべくパルチザンを組織したという歴史上の経緯から、町や村の倉庫に自動小銃から対戦車兵器までもが蓄えられていた。
よって、武装集団の結成+武器・弾薬の入手は、比較的に容易であった。そして、更に洗練された兵器システムが必要な場合は、陸続きの近隣諸国を通じての密輸によって賄われた。
さらに悪いことに、「国民皆兵」をうたうユーゴスラビアにおいては、殆どの成人男性が銃の扱いに手慣れていた・・・。


しかし、これだけでは殺し合いや社会からの排除は、起こらない。


次の段階は、警察をはじめとする行政機関【役場,郵便局,電話局,裁判所等】と報道機関の乗っ取りであった。之は、武装集団が手持ちの武力に「ものを云わせて」行われた。
ただし、既存の選挙システムを利用な可能な場合[選挙に勝つ見込みがある場合]は、民族主義団体,武装集団の都合の良い政治家へと合法的にすげ替えられた。
そして、マイノリティの職員、もしくは、民族主義団体の「気に食わない」、もしくは、「邪魔な」職員が解雇され、民族主義団体に「融通を利かせる」職員へとすげ替えられ、民族主義団体は、乗っ取った警察や役所をはじめとする行政機関を通じて住民の個人情報を手に入れる。

このことは、
「どこに住んでいるのか?」「どこに勤めているのか?」「結婚しているのか?」「学歴は?」
そして、
「どの宗教を奉じているのか?カトリックなのか?東方正教会なのか?イスラム教なのか?」
「どの民族なのか?セルビア人か?クロアチア人か?ムスリムなのか?」
といった諸情報を手にすることを意味した。

この段階を経ると、平和な日常生活は終わりを告げる。
「民族主義団体や武装集団に目をつけられた人々≒マイノリティや異民族の人々」は、役場での手続きができなくなり、警察はマイノリティや異民族をいじめ、暴力を加えるための検問や取り調べを行うようになる。
このことにより、自営業者は必要な更新手続きができなくなって廃業に追い込まれ、マイノリティや異民族に重税が課され、そして、検問と外出禁止令によって外を出歩くことができなくなり、職場にたどり着くこともできなくなり、露骨な差別が大手を振るようになり、そして、マイノリティや異民族へとカテゴライズされた人々は社会から排除されていった。
マイノリティや異民族から社会的資源を略奪した後に待っている段階は、銃火器等による物理的な暴力の行使である。

その後の1991年夏、連邦軍の戦車がフォルクスワーゲンを踏みつぶして始まったスロベニア紛争[10日間戦争]を合図に、あらかじめ手に入れた個人情報を基に「殺すべき相手」を選んでおいたうえで、互いの暴力と殺戮の「応酬」がはじまった。
かくして、地獄の釜が開いた。

では、なぜ?「応酬」なのか、
それは「被害者」と「加害者」の線引きが不可能なまでに、互いに非道い「命のやり取り」をしたためであり、そうしなければ生存すら覚束ない「修羅界」が現出したためであった。
そこは「無垢であること」 —— 我が国においてヘイトする人々が、喪おうとしていること——が、許されない世界であった。
かような世界を生き延びた人々が心身ともに「無傷」であったとは、考えられない。
兵士出身の心理学者デーブ・グロスマンが述べているように、「人を殺すことは、自分を殺すこと」であるのだから。

以上、ここではヘイトが「差別→排除→ジェノサイド」に至った経緯と、ヘイトが何を齎すのか?について、私なりに述べた。



■��我が国における「紛争」

では、我が国においてはどうなのか?

確かに日本ではユーゴスラビアのような、町や村の銃火器倉庫は無い。
そして行政/官僚組織は独立性を維持し、個人情報は厳重に守られている・・・・はずである。

しかし、20年近く経済的な不振が続き、「日常的に、理不尽な排除や無視に晒され、その辛さを、誰かの迫害でしか、解消出来ないと思い込まされてる」人々が増える土壌が形成されてしまった。オイルショック後のユーゴスラビアに住むが人々が、不況と排除に苦しんだように・・・。

そして、末期のユーゴスラビアには無い「凶器」が、いつの間にか我が国の各家庭にある。
「ネット」である。
このインフラと端末[=PC]は、ひとたび手に入れた個人情報の拡散を可能にする。
では、どのような経路で個人情報を手に入れるのか?

おそらく、四年前の大津での事件の時と同様に、「義憤」「やりきれない思い」にかられた、排除に曝された人々によって、「俺らで�狒楮�"しよう。ケーサツはあてにならんし」とばかりに2ch等の匿名掲示板においてスレッドが作成される。
情 報源は「いじめられた生徒の同級生」を名乗る人々や「被害者と加害者に近い」と自己紹介する人々である。ネットの匿名性ゆえに、彼らが「本当に、そのような人物なのか?」を確認する方法は、ほとんど皆無である。
そして、当該スレッドを目にした事件の当事者に近い人々が、加害者/犯人、もしくは、犯人とおぼしき「容疑者」の個人情報が書き込まれ、曝されていく。
「個人情報を曝された人々/素人捜査における�猴撞深�"」の大半が、無実であるにもかかわらず・・・。


いわゆる「祭り」という名の、集団リンチである。


こうした「素人捜査/いじめ、もしくは、ヘイト」の結果に関しては、行政機関乗っ取り後の旧ユーゴ,ボスニアにて起こったこと共通する。
掲示板において「名差しされた」人々は、外を出歩けなくなり、店を構えることができなくなり、職場を解雇される等、彼らの社会生活は瓦解し始め、社会から排除されるのである。
「物理的な暴力=民兵/武装集団と銃火器」に関しては、我が国においては必要なかった。
なぜならば、行き詰まった犠牲者が物理的暴力を用意し、自らに向けたからだ。


犠牲者は自殺したのである。

このようなヘイト、もしくは、排除・迫害の結果、―― 労働条件の悪化等、他の要因も考えられると思うが―― 、年間3〜10万人ともいわれる死者数を、我が国は出すに至った。

プロセスこそ異なれど、我が国は10年以上かけて紛争時のボスニアよりも多くの死者数を出すという、「結果」を導き出してしまった。


かくして、「ボスニアは、東京まで」拡大された。

このような状況のもとで、発せられた尾木氏の「生徒殺人学校」という言葉は独り歩きをはじめ、ネットでの「善意の情報提供→取返しのつかない、個人情報の暴露」という状況を招くため、私は深刻に捉えている。
はやく、いつもの「尾木ママ」に戻ってほしいものだ。

そして、掲示板にてスレッドを作成される問題は「いじめ」に止まらない。

「いじめ」を「ニート」、「フリーター」、「生活保護受給者」、「キリギリスの如く怠けるギリシャ人」に置き換えてみると、ネットのみならず、マスコミまでをも動員してまで我々にヘイトと迫害へと加わるよう、呼びかけている。

恐ろしい世の中に生まれたものだ・・・・。
在りし日の愛犬に組み伏せられた長閑な(のどかな)日々が、まるで嘘のようだ。

そして、「怠け者のギリシャ人」というイメージをドイツが流布したということは、未だにドイツがヘイト・クライムを行っているということでもある。
この場合、「債権者の立場=♪貸したカネ、返せよ〜♪」という立場はヘイト・クライムやスピーチを正当化できないだろう。
同様のことは、ドイツの言い分を鵜吞みにして、ワイドショーにてギリシャを嗤いものにした、我が国のマスコミについても云えることである。

全く恐ろしい世の中に生まれたものだ・・・・。
職場の長い休憩時間に、先輩や同僚たちと他愛と罪のない冗談や馬鹿話に大笑いしたこと が、 「歴史上の出来事」に思えてくる。


■この文章を終わらせるにあたり


では、どうすればよいのか?
「ネット・リテラシー=ネットでのふるまい方」の普及も大事であるが、之が意味を成すには、「日常的に、理不尽な排除や無視に晒され、その辛さを、誰かの迫害でしか、解消出来ないと思い込まされてる人々」を減らさなければならない。
このような「理不尽な排除や無視」の大元にある、財の再分配における失敗=格差社会の出現という要因にメスを入れなければなるまい。
一説によれば我が国におけるジニ係数は、0.4[この数値を超えると、暴動等の恐れがでてくる]を超えて、0.5!に迫ろうとしているという・・・。
このことによっても、「格差社会の出現」は裏付けられよう。

・・・アト、いじめが起こった学校組織についてであるが、元々は軍隊組織に範をとったものだという。班=10人は「分隊」に相当するし、班×3=30人前後の学級は「小隊」に相当し、担任教師は「小隊長」であり、学校長は陸上自衛隊でいうところの「連隊長」なのだろう。
(このような考え方は、教育学においては「常識」らしい・・・。)
そして、このような官僚主義に満ちた組織が閉鎖性を帯びると、いじめ等の温床となることは、過去の歴史が証明している。
実際に、閉鎖性とは逆の「開放性」を帯びた予備校や大学においては、いじめは皆無に等しい。
ということは、現在の学校組織についても、ドラスティックな改革が求められることになる。

このような世の中に生まれた事実と向き合い、ヘイトに加わることなしに、他の生き方や愉しみを見つけて、この恐ろしい時代をやり過ごした者にこそ、新たな時代が姿を現すのだろう。

さもなければ、どうなるのか?
ヘイトに加わった者たちは、米国の公民権運動において、差別を前にした女性から発せられた言葉を「うる憶えながらも」引用しよう。


「そんなこと(=差別とヘイト)をして恥ずかしくないの!後で、顔を上げられなくなるくらいに恥ずかしいことになるんだから。」

ともあれ、
「尾木ママ」が迫害の扇動を止めることを求め、「美しい国は、美しく燃やされる」ことなしに、皆さんの平和な生活をお祈りし、筆を置くこととする。







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