http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15856 (写真入り記事)
聖書で「裏切り者」というと、真っ先に思い浮かぶのは「イスカリオテのユダ」ではないかと思います。
イエスに選ばれて弟子となり、信頼されて会計係となり、最後まで愛されたにもかかわらず、ユダはイエスを裏切りました。
ユダがイエスを裏切った理由は、イエスこそ、祖国イスラエルをローマ帝国の支配から解放してくれる政治的リーダーとして期待し、イエスが政権を取った時には、大臣として権力を得たいという思惑があったのだろうと思います。しかしイエスは、全人類の罪の贖いのために十字架にかかって死んで復活する救世主であると知った時に、思惑と違ったので、「裏切られた!」と思ったからでしょう。
ユダの裏切りは、イエスの弟子でありながら、イエスを救い主と信じることなく、会計を任されていましたが、少しづつお金を盗んでいました。最後は、悪魔に心を乗っ取られ、イエスを十字架につけるために、最も愛情を示すキスという目印を持って引き渡すという裏切りを行いました。
ユダは、その後後悔して、最後は、首をつって自決しました。
日本の武士道的に考えると、潔い最期に見えないことはありませんが、イエスは、最後までユダを愛し、赦し、悔い改めて回復するチャンスを与え続けました。公にユダの罪を責めることがなかったのは、ユダが悔い改めることを願っていたからです。
普通の宗教指導者、教師、リーダーなら、このような裏切り者をまず赦しません。
裏切りというのは、この世の中では命取りになることもあります。また、取り返しのつかない汚名を着せられることもあります。
裏切りは、当然ですが、故意にすべきではありません。しかし、仕方なく、結果的に裏切りを犯してしまうこともありますし、感情的に傷ついたり、疑心暗鬼に陥ってどうしようもなく裏切る事もあり得ます。
今日、イスカリオテのユダの裏切りをどこまでも赦そうとしたイエスの姿に思いを向けて下さい。
この方は、どんな裏切りも赦そうと待っていて下さり、その裏切りの罪を赦すために十字架にかかって死んで下さいました。
人や社会は裏切り行為を看過してくれないかも知れません。しかし、イエスは、裏切り者を赦し、人生をやり直すチャンスを与えて下さいます。
裏切りを他人事として考えていたら、「とんでもない!?」と息巻くかも知れません。しかし、私たちも、人生のどこかで誰かを裏切ったことがあるだろうと思います。また何より、神に対して背を向け、何度も裏切り続けている存在です。でも、イエスは、あなたの裏切りを赦し、受け入れ、人生をやり直すチャンスを与えて下さる方です。今日、イエスのもとに一緒に行きましょう。
イエスはあなたを愛しています。あなたを赦して下さいます。何度でも立ち上がらせて下さり、何度でもやり直すチャンスを与えてくださいます。
聖書は、因果応報や宗教を教えるのではありません。あなたに取って良いニュースが書かれています。裏切り、罪は決して赦されるものではありません。しかし、その罰をイエスは十字架で背負って死なれたので、信じる人は、赦され、救われるのです。
「神が御子(イエス)を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネの福音書3:17)
どこまでも赦して下さる愛に支えられて、今日も歩んで参りましょう。
良い週末でありますように。
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