mixiユーザー(id:17713252)

2015年06月24日21:53

241 view

「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【78】」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15834 (写真入り記事)

午前中は、facebookで親しくさせて頂いている素敵なご夫妻とお会いして、遅めの朝食をはさみながら、人生相談を受けたり、楽しいお交わりの時を持たせて頂きました。とても感謝でした。

戻ってから、ひと仕事を終えて、友人牧師たちと栃木県の那須に一泊合宿に来ました。

全員が牧師ですが、普段は日帰りだけの付き合いですが、この機会に、三食共にし、一緒にお風呂に入り、笑い、語り合って、楽しいひと時を過ごしています。明日の午前に少しだけ学びをしますが、勉強は少しだけです。昼食に十割そばを食べてから帰宅します。

そのまま御茶ノ水に直行しますので、ギターなどの奉仕一式セット、また、ノートパソコン、身支度品一式を持ってきましたので、一泊合宿なのに、驚異的な量の荷物を持ってきました。

普段私は、趣味のスキーや登山には気楽に出かけますが、なぜか遊びに行くことには罪悪感を感じてしまいます。だから、帰りに家庭集会や地域の教会に立ち寄って、奉仕をして帰ってくることがほとんどですので、遊び主体のお出かけで、最高にリラックスして楽しんでいます。

最近、「牧師同士はもっと遊んだ方がいい!」とよく言われますが、それは堅物が多すぎるということもありますが、本気で遊ぶことを知らない人が、本気で人と関わることは難しいのではないかと感じます。

ある教会は、信徒と牧師がよく遊びに出かけるそうです。私もこれからそうしたいと思っています。

ところで、数日前から、体の調子が悪く、体が重いなーと感じていました。

昨日と一昨日は、日本全国から牧師たちが集まって、一緒に会議をし、大きな集会を持ちました。

会議の席に座っているだけで、他の牧師たちの存在が大きく感じて、圧迫感さえ感じていました。

後でわかりましたが、喘息発作が出ていました。吸引ステロイドをMAX量まで吸引し、ホクナリンテープ(胸に貼って気管支を拡張する薬)を数枚貼ったら、発作が治まりました。

5年前に、喘息の大発作が出て入院をした時には、退院直前に、医師から、「菅野さんはカンファレンスで肺がんが疑われていたんですよ」と言われました。何の治療をしても良くならないので、死ぬかも知れないと思われていたそうです。神様に守られたと思います。

体が重い原因がわからないまま、顔で笑って、心でもがいていていました。

ある牧師は、「牧師会が嫌いだ!」といいます。理由は、「大きな教会の牧師たちの態度がでかくて嫌だ!」と言います。もしかしたら、そういう牧師もいるかも知れませんが、傲慢というより、自信があるだけなのではないかと思います。

今回の大会の講師は、カメル牧師という世界宣教会議の議長をされるような、世界のキリスト教界のトップリーダーのお一人ですが、今回の大会で通訳をされた奥山牧師がカメル牧師に、「カメル博士、ここに集まっている牧師たちは、日本のキリスト教界のトップリーダーたちです!」と紹介しました。

カメル牧師は、大喜びで、「何と光栄なことでしょう。あなたがたに会えて神に感謝します。」と喜び、さらに、「日本のキリスト教界のリーダーたちがこんなに仲良くして、一致しているなら、必ず日本にリバイバル(多くの未信者が救われるできごとのこと)が来るでしょう!」と言われました。

実際私などは、キリスト教界の末席に座るような若造の一人ですが、「トップリーダーの一人」と紹介されることで、傲慢になるのではなく、申し訳なくて謙遜にさせられます。でも、神様は、そういうやり取りの中で健全な自信を与えて下さっていると思います。

自信のない人は、自信を持っている人を煙たがります。嫉妬を感じることもあります。

しかし、自信を持てない人の多くは、世の中にある競争原理に毒されています。いつも他者との比較の中で自分を評価します。

「他者に勝っている!」と考えると、途端に傲慢になり、「他者に負けている!」と考えると、途端に劣等感を感じます。だから、自信がある人と自分を比べて劣等感を感じるので、妬みを感じるのです。

しかし、本当に自信のある人は、他者との比較という「DOING」、つまり「行為」の価値のあるなしで自信を持つのではなく、「BEING」、つまり「存在」しているだけで価値を見出し、何ができてもできなくても自信を持って堂々としています。

「BEING(存在)」の価値とはどんな価値でしょう?

�� 自分は神に造られた存在である
�� 自分は神に愛されている存在である
�� 自分は神の子どもである

という、普遍的・絶対的で揺ぎのない自信を持っていることです。

人が引き下げて来たとしても、引き下げられないばかりか、いくら引き下げようとがんばっても、引き下げようとする人の方が引き下げられることになったり、場合によっては、共に引き上げてしまう力を持っています。

自信の根拠は、そのような聖なるプライドであり、健康な精神を作り出していきます。

このような自信を持った人は、人比べて、優劣をつけて、劣等感や優越感やねたみを感じなくなります。

自分より優れたものを持った人に引け目を感じることなく、評価し、尊敬し、学ぼうとします。

仮に、自分に持っていない素晴らしいものを持った人がいたとしても、「私には、あの人が持っていないこういう能力がある」と、動じたり、振り回されることはありません。堂々と自信を持って生きることができます。

牧師たちと合宿をし、遊び、楽しく過ごすことで、自分の心の中に不健全なものがないかどうか点検する機会になっています。

みなさんは、どんな一日を過ごされましたか?

今日もお疲れ様でした。また明日会いましょう。
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年06月>
日 月 火 水 木 金 土
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930