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2015年06月13日23:06

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【67】」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15805 (写真入り記事)

昨晩は、丸一日一生懸命に事務仕事をしたせいか、完全燃焼して、夜はストンと眠りに落ちてしまいました。読書しようと思っていたのに、電気をつけたまま眠ってしまいました。

朝起きたのが7時半、大寝坊でした。おまけに、子供たちも寝坊をして、息子は中学に遅刻しそうだということで、私は、起きてすぐfacebookだけ投稿して、身支度して、車に息子を乗せて中学まで送りました。遅刻スレスレに校門を通って学校に入っていきました。

帰宅したらすぐに、妻を車に乗せて4つの用事で出かけました。

それぞれの用事は順調に終わりましたが、朝から、気分が悪くなるできごとが起こりました。

私の隣に駐車したシルバーのトヨタ・ハイエース(なぜか車種と色だけ覚えている)が、現場は見ていませんが、おそらく、乗降する時に私の車の側面に勢いよくぶつけて、大きなえくぼと傷を残して去って行った疑いがあります。
根拠はいくつもありますが、ここでは割愛します。

駐車場の係りの人に事情を話すと、そのハイエースはたまに来ているそうで、今度見つけたら、事情を説明して、車の傷をなおしてもらおうか!?と考えましたが、おそらく、そういうことを平気でやって去っていく人なので、「知らねーよ!」ととぼけるか、逆ギレされるかがオチですね。

つい先日、北海道で、飲酒したドライバーが5人の死傷事故(うち4人死亡)を起こしました。悪質なのは、一旦現場に戻りながらも、警察に通報せず、そのままひき逃げするという事故が起こりました。

時速130キロで信号無視、何と、衝突30秒前から赤信号だったそうです。しかし、「青信号だった」とか、「ものを拾っていた」とあいまいな供述をしたり、「任意保険入っていないので逃げた」など、極めて自己中心的、かつ、悪質です。

そんな事故に比べたら、何でもないかすり傷に過ぎません。

聖書は、「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」(エペソ4:26〜27)と語ります。

駐車中に車をドアの開閉でぶつけられて傷つけられたのは、当て逃げの犯罪に等しいと感じます。気分よくありません。

以前の話ですが、トヨタのエスティマに乗っていました。ある日、コインパーキングで、右フロントフェンダーを思いっきり凹まされたことがありました。この時は、仲間5〜6人でおいしいものを食べに行った時でしたので、「ぶつけられてしまいましたよ!」と話しても、みなさんは、「ひどいですねー!」の一言で終わりでした。

今思えば、防犯カメラから当て逃げ犯を特定できましたが、聖書が語る通り、怒っても、怒ったままでいることをやめようと思い、これだけで済んだことを感謝して、神に委ねたことを思い出します。

その晩、パソコントでネットサーフィンをしていると、右フロントフェンダーが中古で3000円で売られていました。

翌朝、行きつけの自動車屋に電話をして、「持ち込み部品でフェンダーを交換してもらえますか?」と聞くと、5000円くらいの工賃でやってくれることがわかりました。

右フロントフェンダーとはいえ、部品は巨大です。自動車屋に直接送ってもらいました。2〜3日後に届いたので、すぐに交換をしてもらい、さらに、つぶれた部品を処分してもらいました。1万円以下で一件落着でした。

ぶつけた車の特徴やナンバーを防犯カメラの画像で割り出し、運転手を特定して、修理費を請求することもできたはずですが、そんなことに時間や思いを割くより、これだけで済んだことを感謝したことで、頭が柔軟になり、良いアイデアが浮かび、中古部品で解決できました。

今回ぶつけられたことも、これだけで済んで感謝し、神に委ねました。心がパーっと晴れた訳ではありませんが、怒りから解放されました。

お昼に一旦帰宅し、12時半に、娘の高校の保護者会に向けて車を運転しました。何度見ても車の傷は消えませんが、見た目が少し悪くなっただけで、ほかは何も変わらず私の車です。

iPhoneの生みの親であるスティーブ・ジョブスは、iPhoneにカバーをつける人に対して、「私が作ったiPhoneにカバーなどつけるな!」と気分を害したそうです。

その理由は、裸のiPhoneが一番美しいし、裸で使うように開発・設計したものであり、仮に傷ついたとしても、その傷が自分のiPhoneの証であり、自分自身も、たくさんの傷を負ってきたけれど、その傷があるからこそ私なんだ!と言ったそうです。

今までの私は、車の汚れは気になりませんが、傷だけは気になって仕方がありませんでした。しかし、車の傷を気にし過ぎる心は、何もよいものをもたらせず、私の心を傷つけるだけでした。

今までに、一度だけ新車で車を買たことがあります。それ以外は全部中古車です。その理由は、私が20歳頃、コインで通り過ぎながら車に傷をつけるいたずらが流行っていました。新車で買ったばかりの車に、週一度くらい、傷をつけて行く人がいました。「このやろう!許せない!」と思い、車の陰に隠れて見張ったりしたこともありましたが、結局、犯人は見つからず、気分が悪くなる一方でした。

それから、傷つけられてもあまり気にならない中古車ばかりを乗り継いでいます。車につけられた傷がいやされず、新車を買うことを恐れるトラウマになっていました。

ジョブスが言ったように、傷ついたiPhoneを、自分のiPhoneの証として、気にせず大事に使う姿勢のように、傷ついたエルグランドを、自分の車の証として受け入れ、気にせず、大事に乗って行こうと決めました。

「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」(第1テモテ4:4)

神が車の傷を造られたと言ったら言い過ぎですが、神が許されたから、そのようなことが起こりました。神の許しなしに、何事も起こらないと信じます。

聖書は、「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。」(マタイの福音書10:29)と語ります。

神様は、なぜ私の大事にしている車に人が傷つけることを許されたのでしょうか?

少なくても、
�� 人の心の痛みがわかるようになるため。
�� 神の心の痛みがわかるようになるため。

人から見たら、そんな小さなことくらい気にしなくてもいいんじゃない!?と思えるようなことかも知れませんが、本人はそうではありません。

傷ついている人の傷は、他の人にはなかなか理解できないこともあります。でも、私は、車の傷を通して、その人の心の痛み共感し、推察することができます。

次に、神の心の痛みはなんでしょう? 

神は、私たち人間を愛しておられるので、神に背き、苦しみながら生きている姿を見て心を痛めておられます。

私の所有する車の傷でさえ、私の心を痛めるなら、神の心の痛みはどれほどでしょう。

神は、一人子イエス・キリストをこの地上に送り、十字架と復活を通して、罪の赦しと永遠の命を受ける道を開かれました。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)

「信じるだけで救われる」というのは人間側から見た視点です。神は、人間を愛するあまり、一人子イエス・キリストの命を引き換えに、私たちを救って下さるお方です。信じるだけで与えられます。

話は変わりますが、午後から、娘の高校の保護者会に参加し、現段階での成績を知ることができました。まあまあでした。

PTAの委員になったばかりですが、クラスの中でPTAの働きの協力を呼びかける話を代表でさせて頂きました。

保護者会が終わると、車のハンドルを横須賀に向けました。少し前から、「バイクに乗って、三浦や三崎に行きたい!」と思っていましたが、三浦や三崎の目と鼻の先にある横須賀の病院に来ることができました。横須賀の海はきれいでした。

一人のご婦人から、「おばが危篤になってしまったので、病院に祈りに来ていただけないでしょうか?」と頼まれたので、すぐに対応させて頂きました。

行ってみると、人工呼吸器で呼吸をしていますが、数日前、しばらく心臓が停止したことで脳に血液が行き廻らず、意識が9日間回復していないそうです。

ひたすら必死に祈り続けました。祈っていると、神様がそこにおられるように感じました。クリスチャンは、「主の臨在」という言葉を使いますが、まさに、神がここにおられると感じました。

しばらくすると、90くらいの心拍数が115まで上がりました。また、首を動かしたり、口を開いたり閉じたりしましたので、この状況を見たら、きっと誰もが「このまま意識を取り戻してくれるそうだ!」と思うのではないかと思います。期待が高まり、ご婦人は、「〜おばちゃん、〜おばちゃん!」と何度も何度も声をかけました。

残念ながら、お話をするまでには至りませんでしたが、約2時間そこに滞在してお祈りをしました。

祈った通りに病気がいやされた奇跡を何度も見てきました。奇跡は起こり得ます。それは、祈った人の功績ではなく、ただ、神のみ業です。

しかし、ある時は、必死に祈ったにもかかわらず、病気がなおらないで亡くなっていかれることもあります。しかし、祈りは答えられなかったのに、みんなが必死に祈ってくれたということで心が納得できて、笑顔で天国に送ったということもあります。

ぜひ、横須賀の病院に入院しているご婦人のおばさんのいやしのために、みなさんにも祈って頂けたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。

車が傷つけられて、嫌な思いをした経験は、私に祈りを依頼したご婦人に比べるとちっぽけですが、必死にいやしを求めて祈るご婦人の心のやりきれなさと痛みを、感じさせてもらえたと思います。

人は、痛みを経験しないと、人の痛みがわからなくなってしまうことがあります。そうならないために、神様は、私たちに痛みを経験させて下さいます。

今日、試練の只中にいる人もいるのではないでしょうか。あるいは、人の言葉や失敗などを通して、心が折れそうになっている人はいないでしょうか。神様が、人の痛みがわかるようにして下さっていると思います。

「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ書6:2)

今日もお疲れ様でした。また明日お会いしましょう!

おやすみなさい。

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