http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15765 (写真入り記事)
先ほど、地震が起こりました。目がグルグル回ります。みなさんのところは大丈夫ですか?
今日も一日、守られて感謝しています。
今日は最高の運動会日和でした。日陰や一部テントがあるので、そこにいる人は日をよけられますが、太陽の下にいる人は少し心配。この季節、紫外線が想像以上に強いからです。
昨年は、PTA役員でしたので、運営側での参加になり、子供たちの競技をゆっくり見られませんでした。今年は、応援しながらじっくり見ることができました。
ただ、仕事のため途中で抜けました。運動会にネクタイを締めていくのは来賓くらいですが、そのまま仕事に直行できます。「今日一日運動会にいますよー!」というような、麦わら帽子をかぶりピクニック系ファッションで行くと、「菅野さん、もう帰っちゃうんですか!?」と言われます。声をかけられましたが、「仕事に行きまーすヽ(´―`)ノ」と出やすかったです。
昨年は、朝7時半に学校に集合して、ミーティングをして、8時に持ち場に付きました。8時45分に開会式が始まり、9時から競技がスタート、12時にお昼ごはんですが、その間、ひたすら来賓の案内をしていました。「そんなに来賓ばかりが来るのですか?」と思いますが、受付も兼業なので、息つく間もないくらいに忙しく、お昼ご飯もまともに食べられませんでした。
午後の部も予定通りに開始され、PTA競技では、司会と実況中継をしました。4時に閉会。反省会が終わって帰宅したのが5時過ぎ。実に、10時間労働でした。疲れは、翌日の日曜日。翌々日の月曜日まで残りました。
それに引き換え、一保護者の立場は自由です。行きたい時に行き、帰りたい時に帰れます。この格差は、PTAのボランティア活動を激務にしている要因だと思いました。いつの時代にも、おせっかいで、お人好しなPTAのお父さんお母さんがいるものですが、近年、そういう人が減っています。もう少し考えないといけないと思います。
それは社会全体においても同じです。本格的に、少子高齢化社会の時代に突入しつつあります。日本の場合、これに「超」が尽きます。超少子高齢化社会です。2050年には、1人の65歳以上の人を3人以下の20歳以上65歳未満の人が支える社会になると予想されています。
働いて支える人と支えてもらう人の人口格差が広がっています。
自分のことだけを考えたり、権利を主張し、義務を果たさないような生き方が許されない時代になっています。
共産主義は理想です。しかし、それを制度化し、無理やり取り入れたとしても、成り立たないことを歴史が証明しています。
共産主義の原型は、キリスト教の初代教会にあります。
「ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、『この曲がった時代から救われなさい』と言って彼らに勧めた。そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた、その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒の働き2章40〜47)
この「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。」というのは、「信者になったら、持ち物を共有しなさい!」と言われてそうしたのではなく、おのおのが自発的にそのように行ったのです。ここは大切なポイントです。
2000年間のキリスト教を振り返って見ると、聖書の福音から徐々にズレて行った歴史を見ることができますが、人間はもともとズレていたのです。それが罪なのですから。そして、福音のメッセージを聞いて、悔い改めて神に立ち帰ったのです。
悔い改めは、一度だけ行えばいいのではありません。確かに、一度悔い改めたら罪が赦され、神の子とされ、永遠の命を得て、天国に入れます。聖書がそれを保証しています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8~9)
しかし、手が汚れたら手を洗い、汗をかいたらシャワーを浴びるように、毎日悔い改めることをしないで過ごすならば、いつしか、とんでもなくズレていることに気づかず、「私は教会に通っているし、〜をしているし、〜を守っているし、〜をしないので、私は正しい!」と勘違いすることもあり得ます。
2000年前、使徒ペテロが、「悔い改めなさい!」と叫びましたが、この言葉は、今日の日本にもそのまま語られているはずです。日本が神に立ち帰るならば、日本に希望があります。どんなに、超少子高齢化社会になったとしても、国はますます繁栄していき、さらに、少子化に歯止めがかけられると信じます。
「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」(創世記1:28)
神抜きに考えると、「子供をたくさん産んでも育てられるだろうか?」と心配し、家族計画をして、子供の人数を制限せざるを得なくなることでしょう。もちろん、それが間違っているのではありません。
しかし、神は、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」と命令されたのです。命令された神が、子供を養い、育てて下さらないことがあるでしょうか?
ある程度の年齢になってからクリスチャンになった夫婦から、何度か、「もっと子供を産んでおけばよかった!?」と悔いる声を聞きます。中には、仕方なく中絶して、悔やんでも悔やみきれずに涙ぐむ人もいます。
経済的に、体力的に、環境的に、これ以上の子供を育てられないという理由で制限するのは現実的です。しかし、これとは別に、神抜きに考えた結果、子供をたくさん産まない夫婦が増えています。これが、超少子化につながっているのではないかと思います。
私は、政治や現実問題に強い関心がありますし、何でも聖書だけで片付けようとは思いません。
しかし、問題に目を向けていくと、問題の表面部分だけを変えて行ったとしても、そこには限界があることに気づきます。問題の根本に行き着き、そこを変えて行く必要があります。
私は、そのために置かれた場所で神の愛のメッセージを伝えます。そして、出会う一人ひとりを慰め、励まし、道を示していく働きをこれからもさせて頂きたいと思っています。
しかし同時に、私は、毎日神様によって支えられています。また、教会のみなさんの祈りによって支えられています。そして、インターネットを通して関わるみなさんの好意と祈りと励ましによって支えられています。そのことを覚えて、いつも感謝をしています。今日もありがとうございます。
運動会を抜けた後、仕事に直行しました。
今日は、その他にいろいろな予定が目白押しでしたが、どうしても身体が疲れていたので、5つの予定をキャンセルして、身体を休めました。例えば、映画レフト・ビハインドの試写会や町会の総会等も予定に入っていました。
比較的、キャンセルしやすい予定だったので良かったですが、疲れたまま無理に出かけて行っても実りが少ないですし、倒れてしまってはいけないからです。
今日は、下の2人の運動会でした。2人ともリレー選手に選ばれ、騎馬戦や組体操などもがんばりました。上の子は、放送委員なので司会も担当しました。おじいちゃん、おばあちゃんも敬老席に座って楽しみながら応援しました。
運動会後、クーラーのきいた家に戻って、アイスクリームを食べながら、おじいちゃん、おばあちゃんも交えて、家族団らんの時を持つことができました。
暑い一日でしたね。お疲れ様でした。
みなさんも疲れた時には休んで下さいね。これからの季節、熱中症などにならないように気をつけて下さい。
また明日お会いしましょう!
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