http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15734 (写真入り記事)
タクシーの運転手と牧師が天国に入った。
タクシーの運転手は、最高で時速200kmも出すようなスピード狂であった。乗った人は、シートベルトをし、死ぬかも知れないと思った。
牧師は、優しい語り口で、難解な説教をし、会衆を安らかな気持ちにさせた。
ある日、タクシーの運転手と牧師は死んだ。
神様は、天国で牧師よりもタクシー運転手をほめた。
タクシー運転手に神様は、「あなたは、たくさんの人に、『神様、助けて下さい!』と祈らせた。偉かった。」
次に、神様は牧師に、「あなたは40年も教会を牧会したが、みんなを眠らせてばかりだった。一体どういうことだ!?」
これはジョークですので、神様が本当にそう言われるかどうかわかりませんが、会衆をいつも眠らせるような説教者になりたくないと思います。
ところで、キリスト教徒は、目に見える像やご本尊、教祖などを拝むことはありません。神は目に見えないお方だからです。
「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちの息と万物とをお与えになった方だからです。神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。」(使徒の働き17:24〜29)と聖書に書かれています。
教会には、神の臨在があります。目で見えず、耳で聞こえず、手で触れることはできなくても、神がここにおられ、生きておられることを、体験することができます。
聖霊が満ち溢れ、神の臨在が満ち溢れるならば、教会に来て眠くなってしまうことはありません。平安といやしがあり、人を元気にさせます。
日曜日に、タクシーに乗って、スピード狂の運転手の運転に、「神様、助けて下さい。守って下さい!」と祈るのもいいですが、教会で、「神様、一週間守って下さい!」と共に祈りませんか?
日曜日は教会へ! お待ちしています。
新宿福興教会HP
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首都圏から遠い方で教会に行ってみたいと思われる方には、近くの教会を紹介致します。
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