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今朝は、所属団体から機関紙の執筆を依頼されていましたので、それを仕上げました。
文章というのは、時間があるから書けるものではありません。たくさんの時間があっても書けない時は書けません。そういう時は棚上げして、書きたい内容が心の底から湧き上がって来る時に再びパソコンに向かいます。
世に表された数々の名曲は、一気に作られたという話を何度か聞いたことがありますが、文章も似ているなと思います。毎日投稿する文章も一気に書き上げることがほとんどです。
ただ、ネットに上げる文章は、校正に多くの時間は割きませんが、新聞や雑誌に載せる文章はやはり重みがありますので、繰り返し修正し、読み上げ、校正を繰り返します。それを数回繰り返して、まずまずの出来上がりだと感じましたので、メールで事務局に送りました。
おそらく、読み返したら、また、修正し、校生する箇所があると思いますが、一段落したところで、妻と買い物に出かけることにしました。
忙しいと、妻と一緒に買い物に行く機会があまりもてないことがありますが、週に一度は、一緒に出かけて、コミュニケーションをしながら買い物を楽しみます。
それにしても、今日は昨日以上に暑いですね。まだ車のクーラーは使いませんが、窓全開にして走りました。
妻と会話しているうちに、学校で運動会の練習をしている子供たちが心配になりました。
一つは、「熱中症にならないだろうか?」という心配で、もう一つは、「組体操の練習でケガをしないだろうか?」という心配です。
しかし、子供に関する悩みを共有し、話し合うことで心を合わせてお祈りができるので、機械的に買い物をするだけではなく、妻との大切なコミュニケーションの時間です。
帰宅後は、急いでないけれど、重要な仕事に取り掛かりました。思いつきで仕事をすることもありますが、基本的には、急ぎでないけれど、やるべきことをスケジュール帳に書き込んでいますので、それを一つひとつこなしていきます。
仕事が終わったら、そのままギターを車に積んで御茶ノ水に向かいました。
現地にぴったり夕方4時に着きました。通常、遅刻は嫌いなので、5分以上前に現地に着くことが原則ですが、なぜか誰も来ていませんでした。2〜3分経過したら人が集まって、会議が始まりました。
私は、形式的な会議はあまり好きではありません。もちろん、テンポよく、スムーズに決議がなされていくのは気持ちがいいですが、黙って、じっと座っているのが好きではありません。話すことがない時は静かにしていますが、喉元までしゃべりたいことがあるのに、グッと堪えて押し殺し、次のチャンスがあったら話そうと考えていた頃がありましたが、結局、その瞬間に手をあげて発言しないと、二度と発言する機会がないということもありましたので、とにかく、自分の意見は否決されようとも、発表してから帰って来るというように決めました。そうしたら、会議の時間を有意義に感じるようになりました。
今日の会議は、お互いに心にあることを分かち合いましたので、とても有意義でしたが、ちょっと時間が長引いて、定例の「祈祷会」開始直前になり、慌てて移動しました。
私は、礼拝以外で一番好きな集まりが祈祷会です。不思議です。祈ると、すべて答えられ、解決します。本当に素晴らしいです。
祈りに関して、ニューヨークの物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられている作者不詳の詩があります。
大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった。
(I asked God for strength, that I might achieve. I was made weak, that I might learn humbly to obey...)
より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、人生を間違わないようにと、病弱を与えられた。
(I asked for health, that I might do greater things. I was given infirmity, that I might do better things...)
幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
(I asked for riches, that I might be happy. I was given poverty, that I might be wise...)
世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、神様の存在に自分が気付けるようにと、弱さを授かった。
(I asked for power, that I might have the praise of men. I was given weakness, that I might feel the need of God...)
人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、あらゆることを楽しめる命を、自分はすでに授かっていたことに気付いた。
(I asked for all things, that I might enjoy life. I was given life, that I might enjoy all things...)
求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。自分は神様の意にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中を言い表せない祈りは全て叶えられた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されていたのだ。
(I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for. Almost despite myself, my unspoken prayers were answered. I am among all men, most richly blessed!)
この詩は、祈りについて大切なことを教えてくれます。
しかし聖書は、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」(マタイの福音書7章7〜11節)と書かれています。
祈り求めた通りに答えられることもたくさんあります。
特に、信仰の弱い、クリスチャンになりたての人の祈りを神様は聞いて、その通りに答えて下さることが多くあります。しかし、成長した人には、願った通りに祈りが答えられるより、神の目から見た最善という形で神様は祈りに答えて下さいます。これは、後でわかるものなのです。
神は、祈りに対して、「No!」と言われることがあります。「待て!」と言われることもあります。
自己中心に生きている人には、それは受け入れがたいことです。
しかしもし、神がすべての人の祈りを聞いて、その通りにして下さるとしたらどうでしょう? 大変なことになってしまいます。
自己中心な祈りとは、「人はどうであっても、神様、私だけにはよくして下さい。」という祈りです。神様は愛のゆえに、わがままな祈りを拒否されることが多くあります。
人は、愛の神との祈りという交わりを通して、少しづつ砕かれ、変えられ、成長していくのです。
わがままが砕かれ、人を愛せるようになった分だけ、幸せになれるし、祝福されるのです。
神様は、人が幸せになり、祝福されてほしいので人を砕いて下さいます。これは、昨晩「ちょっと一プク」でお話した、「キリストとともに自分に死ぬ」という体験です。
祈りとは、宗教的なお勤めではありません。神とのお話です。こんな楽しいことはありません。そして、最後は、自分に死に、問題が解決し、一番良い方向に神様が導いて下さいます。
祈祷会は、みんなで一緒に祈ります。これは最高の至福の時間です。帰宅すると午前様ですが、でも、心は解放され、喜びでいっぱいです。
でも、もうそろそろ休みます。みなさんも疲れたと思います。
おやすみなさい。また明日お会いしましょうヽ(´―`)ノ
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