mixiユーザー(id:17713252)

2015年04月06日10:52

316 view

Facebook上のイベント「感謝のリレー」に参加しました 4日目

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15620 (写真入り記事)

いよいよ感謝のリレーも終盤に差し掛かっています。今日を入れてあと2日。明日は、3人の方にバトンを渡す日です。期間限定のアルバイトをしたことがありますが、期間限定だからこそできることってありますよね。感謝のリレーもその一つです。

�� 昨日に引き続き、バトンを探す人探しを楽しんでいますが、理想と現実の狭間にいます。発信力があり、SNS好きな人にバトンを渡したいと思いますが、そういう人は、すでに感謝のリレーに参加していたり、立場上、やることが難しいかなーと考えてしまうと、気が引けてしまって頼みにくくなります。やったことがなさそうな人で、かつ個人的に親しく、喜んで引き受けてくれそうな人に当たっています。毎日3つの感謝を挙げることも人によっては難しいことだと思います。しかし、バトンを渡す人の人選はもっとチャレンジングなことです。バトンを渡す人探しを楽しんでいるなんて平和でいいなーと思いますね。バトンを渡す人探しができることを感謝します。

�� 約2000年前に、イエス・キリストが復活されたことを感謝します。今日は、全世界のキリスト教会が「イースター(復活祭)」を祝っています。2015年前のクリスマスに、神の一人子イエス・キリストが人間の姿をとって来られ、歴史の中に名を刻んで下さいました。

聖書は、「主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』」(マタイの福音書1章20節〜21節)

イエス・キリストは、罪からの救い主です。罪からの救い主の条件は、神であり、人間であるということです。その資格を有するお方がイエス・キリストです。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒の働き4章12節)

救いの方法は、私たちの罪の身代わりにイエス・キリストが十字架で死なれ、死んだ後に墓に葬られ、三日目によみがえることです。

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、」(コリント人への手紙 第一 15章3節〜4節)

神が全人類に与えられた救いは、イエス・キリストの復活を持って完成しました。信じるだけで、誰でも救われます。

昔、サントリーのウィスキーのCMで、「なにも足さない、なにも引かない」というフレーズがありました。全文は、「『なにも足さない。なにも引かない。』歳月には力がある。歳月を養分にして、この琥珀色は滴った。だからピュアモルトの香りは、言葉に溶けてしまわない。はっきりと呟きが聞こえる。凛としたモノローグである。朴訥だが明晰。シンプルだが、奥が深い。なんという矛盾だろう。静謐があって、覇気がある。ゆったりと、鷹揚で、大きな流れと、縦横無尽に闊歩するものとが、同居している。なにも足さない、なにも引かない。ありのまま、そのまま。この単純の複雑なこと。日本のウイスキーのふるさと山崎から サントリーピュアモルトウイスキー山崎」

イエス・キリストの救いには、「なにも足さない、なにも引かない」というフレーズがぴったりです。人間の業が入る余地はありません。人間のチカラで救いを得ることは不可能であり、神の側で一方的に与えて下さったからです。チョットお説教調になってしまいましたが、イエス・キリストの復活に感謝します。

�� 両親に感謝します。ある人が、「キリスト教は先祖を大切にしない。だからダメだ!」とすごんで来たので、私は、「キリスト教は、死者崇拝や祖先礼拝はしませんが、親が生きている今、敬い、大切にすることを教えるんですよ。また、毎年記念会を行ったり、墓前礼拝をしたりして、先祖を思い起こす時を教会や家族単位で持つことが多いんですよ。」と伝えますと、「なるほど」と納得されたようです。「親孝行、したい時には親はなし」と言われますが、親孝行しなかった罪滅ぼしに僧侶に高い戒名をつけてもらって、立派なお葬式を出しても自己満足に過ぎないと思います。

中学生くらいの私は、親、学校、社会に反発していました。しかし、18歳の時にイエス・キリストと出会い、個人的な救い主として心にお迎えしました。その時に起こったことは、神と人と自分に対して罪を犯していたと気づき、悔い改めました。親、学校、社会に対する考え方が変わりました。親が生きていてくれることに感謝するようになり、今でも、毎週1時間かけて教会に来てくれることに感謝しています。今日の日曜日の礼拝も、両親とともに神を礼拝できて感謝しています。

今日は日曜日なので、私にとって、月曜日から土曜日は、日曜日のための下準備であり、日曜日が中心ですので、どうしても牧師としての感謝になっていますが、同時に、一人の人間として、日曜日に神を礼拝できることに感謝をしています。

番外編の感謝。

18歳でクリスチャンになってから、数回、日曜日に礼拝をしなかったことがありました。思い出すのは、5年前に入院した時のこと。最近では、イスラエルに行った時は、団体行動だったこともあり、公な日曜日の礼拝をしませんでした。どんな理由があっても、日曜日に礼拝をしないと、心の深い部分でのリセットができず、何か物足りないと感じます。

日曜日に、教会で神を礼拝することは、この世のどんな行事やレジャーや休息に勝って、心の底から喜びと満足と平安を得ることができますし、それ以上のものです。

聖書は、安息日を教えます。ユダヤ人は、今でも毎週安息日を厳格に守っています。しかし、ユダヤ人が安息日を守ってきたことも事実ですが、同時に、安息日がユダヤ人を守ったとも言えると思います。ユダヤ人は、AD70年に国を追われ、国を失って離散しました。ドイツのヒットラー政権による民族大虐殺を経験しましたが、国を失って1900年の時を経て、1948年5月14日に再建国しました。この間、ヘブライ語という言葉をはじめ、民族性を失わなかったのは奇跡としか言い様がありませんが、何のマジックもありません。毎週安息日を守る中で、ユダヤ人としてのアイデンティティが失われずに守られたのです。

クリスチャンは、先に、自分を造り、生かしておられる神と和解し、罪赦され、神の子とされた人です。全世界の33%の人です。一般的に、クリスチャンじゃない人を、ノンクリスチャンと呼ぶ場合もありますが、私は、未信者と呼びます。未来に信者となってくれる人と思っているからです。

日曜日の礼拝は、全世界の33%の人のためだけにあるのではありません。100%の人のためにあるのです。創造主を礼拝する時に、ユダヤ人がユダヤ人としてのアイデンティティを失わなかったように、自分が、神に似せて造られた最高傑作であるというアイデンティティを失うことがありません。このアイデンティティを回復し、持ち続ける人は幸せです。自殺は限りなく0になると思います。ただ、ガンやエイズ、エボラ出血熱でなくなる人があとを絶たないように、うつ病になったことで、うつ病による病死としての自殺はあり得ます。先日の航空事故は、副操縦士による自殺だったようです。こういう自殺は、本当に困るなーと思いますが、あの副操縦士がイエス・キリストと出会い、毎週神を礼拝したとしたら、少なくても、うつ病は軽くなり、自殺はとどめられたのではないかと感じますので心が痛みます。

私に対して、「いつも元気ですね!」と言われる方が多くいます。また、「打たれ強く、何があってもへこたれませんね!」と言ってくれる人もいます。もともとは、決して強い人間ではありませんし、とても心が傷つきやすいです。しかし、神に造られ、生かされ、愛され、赦され、共にいて下さり、守って下さっているという事実が私を支えています。それを私に刻み込んでくれるのが日曜日の礼拝です。だから、毎週日曜日に、神を礼拝できることを感謝しています。

5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年04月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930