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2015年01月12日15:59

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「電波少年」で人気だった"なすび"は出身地の福島市に尽くす日々



 毀誉褒貶あった日本テレビの「進ぬ!電波少年」で98年から99年の1年3カ月にわたって“懸賞生活”を送ったなすびさん(39)。その様子がテレビ放映されてたことをまったく知らされておらず、本人が知らぬ間に誰もが知る有名人になっていた。しかし、その企画終了後から徐々に露出が減り、最近はあの長〜い顔を見ない。さて、今どうしているのか。

「KFB福島放送で『なすびのギモン』って番組をやらせていただいてましてね。毎週土曜日、放射線量、拡散情報や除染状況をお知らせするんです。あとはボランティア。まだまだ手が足りない。それで通い続けてます」

 世田谷線若林駅に近い喫茶店で会ったなすびさん、まずはこういった。巷間伝えられる長さ30センチの顔は神妙そのものだ。

「ボランティアは大震災直後から始めました。行く先々で被災した方が、“なすびクンが来てくれた”と喜んで下さった。福島市出身のボクとしては、その笑顔に触れたら、ジッとしてられませんよ。以来、声がかかればどこへでも行き、何でもしてます」

 願いはただひとつ、福島の復興。その思いが募り、大震災があった年の8月、四国八十八カ所を17日間かけて巡礼。もちろん、このお遍路は“結願”した。

 四国の次はエベレストに挑戦した。名づけて“エベチャレ”。

「福島の応援と震災記憶や被災支援の風化を防ぎたい。そうした気持ちを8848メートルのテッペンから発信したかったんです。準備に1年余り、国際山岳ガイドのサポートを受け、一昨年4月にアタックしました。でも、残り200メートルの地点で体力が限界に達し、下山せざるを得なかった。悔しいので去年4月に再チャレンジしたんですが、ルート上に雪崩で遭難したご遺体があることがわかり、断念しました。エベチャレは多くの方のカンパで実現したのに、その人たちの期待に応えられず、申し訳なく思ってます」

 2度あることは3度ある。再々チャレンジの可能性を尋ねると、「可能性はゼロでは……、ウ〜ン」だった。

■「バラエティーはもうコリゴリ」

 さて、なすびさんは専修大学2年の時、漫才師に。お笑い芸人では芽が出なかったが、98年、「進ぬ!電波少年」のオーディションに合格。“懸賞生活”でブレークした。

「応募は20人。運だけが必要な企画と知らされ、クジ引きで当たりました。それから1年3カ月、目標額の100万円を目指し、アパートの一室に閉じこもり、ハガキを書きまくる生活を送ったわけです。1日300枚は書いてたでしょうね。結果、75キロあった体重は半減、精神的にもボロボロになった。バラエティーはもうコリゴリ、金輪際やりません」

 その後は役者に転身し、「電車男」(フジテレビ系)、「TRICK」(テレビ朝日系)、「嫌われ松子の一生」(TBS系)など多くのTVドラマに出演。また、「るにん」「M」といった映画でも活躍した。

「ボクはお笑いじゃなく、もともと役者になりたかったんです。『フーテンの寅』の渥美清さんの大ファンで、喜劇俳優が夢でしたから。で、ドラマや映画から声がかかった時は、正直、やったと思い、うれしかったですね。今は舞台に取りつかれてます。去年10月にも『カサブタかきむしれっ』って芝居に出させてもらいました。福島が舞台。だけど、コメディーなんです。いや、楽しかったですねえ」

 世田谷区内の「帰って寝るだけ」の1Kアパートに一人暮らしだ。

「12月は池袋の東京芸術劇場で、時代劇『花の下にて』に出ました。そうした舞台稽古の合間に福島に行く。どうです、けっこう忙しくしてて、『あの人は今』って感じじゃないでしょ、ハハハ」



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