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2013年01月26日12:09

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最近の教育に思う

■さいたま市立小の学級担任、駆け込み退職を撤回
(読売新聞 - 01月26日 10:19)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2301917

中学、高校でアテクシらを教えてくれた先生の中には、まだまだ戦争経験者が多く残られていた。
大学の途中で予科練に志願したか、徴兵に引っ張られて終戦を迎え、戦後の混乱や就職難で
“先生デモやるか?せんせいぐらいシカ職が無い”ってコトで、喰うに困って代用教員になり
そのまま先生になられた方々で「デモシカ教師」と揶揄されていた。

勿論、新制の大学の教育学部を卒業された先生が、大部分を占めていたが。
我々が習う頃は、そんなデモシカさんたちが丁度定年を迎えられる間近の頃だったと思う。
また、アテクシの生まれ育った北西九州エリアは取り分け満州や大陸からの引揚者が多く、
デモシカさんたちは概ね2種類に分けられた。

一つは、シベリア抑留者で沿海州帰りの先生。日教組の先頭に立って旗を振っていた。
恐らく、抑留時代に強烈な洗脳でも受けたのだろう。
もう一つは、予科練帰り特攻隊崩れの先生。日教組には入らず、一匹狼タイプで
職員室でもやや浮き気味で、先生の集会の折はポツ〜ンと校庭で一人煙草をくゆらせていた。

どちらも共通していたのは、やや屈折した強烈な個性を持っていた。

アテクシが英語を最初に習った先生は、上海の東亜同文書院とかワケわからん学校卒の人で
今にして思えば酷い英語の発音の先生だった、、、orzたらーっ(汗)
自称元スパイで、戦中は支那の魔都上海で大陸工作の為に働いていたと云っていたw
自分でも英語より上海語の方が得意だと嘯き、よく英語の授業から支那語の授業へと
脱線していったw
また、旧ソ連贔屓でラーゲリ帰りの歴史の先生は、キリル語の読み書きも教えてくれたw

まんもちゃんの学校の先生の出身校は、台北師範学校とか、旅順工科大学とか、
哈爾浜(ハルピン)学院とか見慣れぬ学校名が並んでいた。
まんもちゃんの部活である剣道部の顧問の先生は京城大学中退となっていた。

「な〜んや、チョーセンの馬鹿ガッコ中退かいな?」なんてバカにした言葉を吐いてたら
親爺様から
『当時の京城帝國大学タイ!お前なんぞは逆立ちしてん入れん!』
と一喝された。

その先生も受験前なのにアテクシら子供相手に人の道、人生等を説いていた。
当時は仰られているコトの半分も理解出来なかったと思う、、、orzあせあせ(飛び散る汗)

最近噂の“体罰”については、どちらの先生も殴った。
寛容な時代のせいもあっただろうが、随分派手に殴られたw
連帯責任で理不尽に殴られたこともあった。
ただ、納得行く説明をして殴ったので、殴られたほうも、
ああアテクシが悪かったんだなと納得した。反省もしたりした。
近所のお兄ちゃんお姉ちゃんに聞くと昔はもっと盛大に殴っていたと謂うw

体罰も要は運用する教師の人格の問題ではないかと思う。

もしかしたら、アテクシらはケッコー上等な教育を受けられたのかも知れない。
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