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2012年12月20日00:36

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加藤セチ 〜カッポウ着を着た美人科学者〜 【中篇】

iPS細胞が解決するかもしれない超難病
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=112&from=diary&id=2260327

〜前篇より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1885289565&owner_id=980114&org_id=1885342925

【第三章: 加藤セチ博士と日本初有人ロケット機「秋水」 】

「戦時中、東京大空襲の夜、アメリカのB29に対抗する日本の飛行機が1機も飛び立たないのを不思議に思い、当時、内閣戦時研究員を嘱託されていたという責任を感じて、立川陸軍航空研究所を訪ねました。
ところが、松本市に移転したと聞かされ、その足で同市に行き、初めて秋水の実物をみました。
本土防空決戦兵器と聞いておりましたので、どんないかつい飛行機かと思えば可愛い雀さんの様な格好でしたので、あらまぁ、可愛い小鳥さん!と申しましたら、大佐さんから睨まれたのを覚えております(笑)
それで、私はいっぺんでこの飛行機を気に入りましたの。
部隊長から、燃料の燃焼熱のため炉が熔融すると聞いて、すぐに燃料の一つヒドラジンの20%を水と交換することを提案しました。翌朝100人近くの所員のみまもる中で、エンジンテストが行われ、それが成功をみたとき、上司は、理研の蓄積は大きい、とほめて下さいました。その後、秋水は横須賀の海軍空技廠から、たった1機空に飛び立っただけで、終戦を迎えてしまいました。」
(加藤セチ博士談)

【国家的プロジェクト 「本土防空計画」 】

かって、日本の国家予算の7%を投入した兵器開発プロジェクトがありました。

第二次世界大戦・太平洋戦争末期。日本はB-29の主要都市絨毯爆撃に曝され
本土防衛、首都防衛が急務となっていました。
戦争末期、頻々として日本国土を空襲する米軍のB29やP51は、1万メートルの高高度を飛ぶ爆撃機でした。特にB29は、SUPER-FORTRESS(空の超要塞)とも言われ、当時としては堅牢でバケモノのような大きさを誇り並外れた航続距離を飛行出来る超兵器でした。それを迎撃するにも、日本陸海軍の戦闘機、零戦、隼は既に時代遅れ、月光、雷電、紫電、紫電改ではB-29が飛行する高高度一万mに上昇るまでに1時間位がかかる上、空気の薄い高空ではレシプロエンジン機は、酸欠で燃焼性能が悪く、歯が立ちませんでした。陸軍の対空砲火高射砲も、一般的な八八式七十五粍野戦高射砲では、最大射高9千百メートルと届きません。
1万メートルに届く九九式八十八粍高射砲がのちに量産されますが、間に合わず、他に新しい高射砲も開発されましたが、故障が多いなど問題もあり、配備される数も少なかったのです。

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秋水は、従来の日本のレシプロ機では迎撃困難なB-29に対抗するため、ドイツのロケット戦闘機 Me163Bコメートの僅かな資料を元に開発された局地戦闘機です。主な特徴として、高度10,000mまで約3分と、レシプロ戦闘機とは比べ物にならない驚異的な上昇力を持っています。しかし実戦配備されても、航続距離が短い秋水では飛行場上空しか防衛できない上、Me163Bと同じく滑空中に敵戦闘機に迎撃されたと予想されています。また多量の燃料を消費する上、生産設備は空襲により必要量を満たすだけの生産量を確保できなくなっていました。配備されても出番は皆無、もしくはMe 163Bと同じく事故続出で戦闘以上の被害が出たと予想されます。終戦によりこの無謀な計画は中止となりました。

最早遅きに失していましたが、この期に至ってようやく海軍と陸軍は力を合わせB-29に対抗すべく全く新しい飛行機や兵器の研究に着手しました。海軍開発Jナンバーコード、震電、彩雲、秋水、橘花、桜花、核兵器、潜水空母などの研究試作がそれです。
もし日本が大艦巨砲に頼らず、最初から飛行機と空母、通信や潜水艦等に特化して研究していれば戦局もひょっとしたら、ひょっとしたかも知れなかったのです。

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そこで、この頃同盟国ドイツから技術供与されたメッサ―シュミットMe163コメートの資料を元にロケット推進型戦闘機「秋水」が日本で開発が進められることになりました。

俗に『 ヒトラーの最後の置き土産 』と云われる当時独軍の保有したロケットやジェット等の
機密兵器の最新技術の数々です。

それらの技術供与受領のため、遣独潜水艦として伊号29潜水艦が日本より派遣され、1944年(昭和19年)3月11日にフランス大西洋岸のドイツ潜水艦基地ロリアンに入港した。そこでドイツ空軍向けのタングステン30トン他の積荷を下ろし、Me163、Me262の実機とエンジン資料、対空射撃管制用ウルツブルクレーダー、エニグマ暗号機、原子力開発の為のピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)10t他を積み込んだ後、海軍航空本部の造兵監督官として滞独した巖谷英一が便乗した。同艦は4月16日にロリアンを出航、7月14日にシンガポールに入港した。巖谷英一はいち早く新兵器の報告をすべく空路東京に向かったのでした。

しかし、その 『 ヒトラーからの贈り物 』は、遂に日本に届くことはありませんでした。

伊号29潜水艦は、貴重なドイツ土産を日本に届けることなく7月26日、フィリピンバシー海峡でアメリカ海軍潜水艦ソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) の発射した魚雷3発が命中し海底深く沈んでゆきました。

同艦には、Me163型ロケット戦闘機エンジンであるヴァルター機関及び、Me262型ジェット戦闘機エンジンBMW262とそれらに関する資料が積まれていましたが、シンガポールで零式輸送機に乗り換えた巌谷中佐が持ち出したごく一部の資料を除いて失われた。(かろうじて残ったそれら資料は、のちに秋水・橘花の開発に活かされました)


グッド(上向き矢印)また、伊号第52潜水艦は、そのドイツへの技術供与の対価として2トンの金塊、および当時のドイツで不足していたスズ・モリブデン・タングステンなど計228トンが積載して独逸に向かいましたが、これも米海軍により大西洋で撃沈されています。


http://www.youtube.com/watch?v=I9GD1V_ASgY

このMe163は、独逸で同じく世界で初のジェット戦闘機とともに開発された世界初の有人ロケット戦闘機でした。実用化された有人ロケット飛行機は、後にも先にもこのコメートとその日本版である「秋水」と自殺特攻兵器『桜花』しかありません。後にアポロ計画に参加するフォンブラウン博士の手になるV2ロケット大陸間弾道弾に続く、独の必殺兵器シリーズでV3となるべく開発されたものでした。
開発中、ジェット戦闘機の方は、Me-262シュワルベ(燕)、ロケット戦闘機はその可愛らしい形状からスパッツ(雀ちゃん)と渾名で呼ばれていましたが、一度空に舞い上がると、
この可愛いらしい雀ちゃんは時速850km/hの亜音速で飛行する猛禽に変身しました。
恐らく急降下時は音速も突破していたのではないかと思われます。
当時のプロペラ機の平均的な巡航速度が400kmくらいですから、その2倍の相対速度を
誇っていた訳です。これはもう市販車とF-1カーがレースを行う以上の優劣差です。


グッド(上向き矢印)Me-163の試験飛行を見たナチスのヒトラー総統が
『これで勝つる!名前をコメート(彗星)に改めよ!』の一声で
名前を、スズメちゃんから、『Me-163コメート(彗星)』 に変えられました。
『音速の彗星』の誕生でした。

ただ惜しむらくは、この魔法のような力は、僅か10分しか持たず、後は雀グライダーに
逆戻りしてしまうので、必ず低空に護衛機を待たせておく必要がありました。
また出発時にランデイングギアの車輪を外してしまうので、決死の胴体着陸しなければならない不便さがありました。

ともあれ、このドイツのメッサーシュミットのロケット戦闘機Me163を模して、
ロケット戦闘機『秋水』を開発し、B-29の迎撃用とすることが計画されたのです。

この開発には戦争末期の国家予算の7%がつぎ込まれ、陸海軍の垣根を越えて開発が進められました。そのロケット戦闘機が、この「秋水」です。それは、当初1945年9月までに数千機作る計画でしたが、計画そのものの無謀さもさることながら、如何に戦争末期の日本が最後の切り札として、このロケット戦闘機に賭けていたかがよく分かります。

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グッド(上向き矢印)現在、三菱の航空資料室に展示されている設計図が「秋水」のではなく、
独のMe-163コメートの設計図であることが、最近になって判明しました。
その時、その設計図が「供与されたにしては簡単すぎないか」という疑問があり
実際には受け取った日本側も
「こんな簡単なもので何をどないせいっちゅうねん!」
と、頭を抱えたらしいのです。
実は撃沈されてしまった伊29潜には、設計図どころかMe163Bの機体と
スペアーのワルター機関(ロケット・エンジン)及び燃料配合サンプルが積まれていた、
と言われています。
極秘に行われたことゆえ証拠は残っていないのですが、当時横須賀空技廠では
「(伊29が)帰ってこないから困った」と皆が言っていた、という証言があります。


しかし、コメート(メッサ―シュミット・Me163)が、いかに優れた戦闘機だったとしても、
欧州戦線の劣勢を挽回出来なかった理由の一つに、その燃料の特異性と
扱いにくさがあります。問題は液体燃料の配合です。
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これは先日打ち上げられた北朝鮮の人工衛星打ち上げロケット同じ方式で、
現在でも北朝鮮は度々打ち上げに失敗していたほどです。

推進材として使用された高濃度の過酸化水素とヒドラジンは、爆発性と腐食性が極めて高く、特別の運用と保管設備を要したため、この設備を備えた飛行場でしか運用できず、最初の頃こそ驚いた連合軍側も「コメートのある飛行場にさえ近づかなきゃいい」ということに気づいてしまいました。

しかも、この材料は人体に非常に危険な腐食性をもっていたのです。
実際コメートの燃料充填中にミスを犯したドイツ兵が溶けてしまったことさえあったほどです。

ドイツの燃料貯蔵のシステムはどんなものだか分かりませんでしたが、恐らく酸に強い
陶製の磁器や陶器であったと思われます。日本でも、腐食のおそれのある金属ではなく、このような信楽焼の甕に貯蔵していたわけです。
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陶器が影響をうけないということはよくわかるのですが、それにしても、
こんな酒甕のような牧歌的な貯蔵甕に溜めたりして、われたらどうするとか、
どうやって運ぶとか、こちらにも問題は山積、という気がするのはわたしだけではないと思います。
それは同時に、呂号兵器と呼ばれた、ワルター機関ロケットエンジンの為の燃料である過酸化水素の燃料容器の生産に社業の殆どを振り向けさせられた常滑の伊奈製陶(現INAX)に象徴されるように、国民生活に大きな負担と犠牲を強いるものでした。

以下後編 「終戦と理研の解体」へ続く
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1885466378&owner_id=980114&org_id=1885342925
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