今日もたまたまおじゃましたマイミクのマイミクさんの日記が響きましたので、転載させていただきます。
きっと私の事を自信過剰だと思ってる人も多いかと思うのですが、そうする事で思った通りの現実を創造できるのならば、どうせなら皆もそれくらい自分を信じてあげた方が良いと感じました。
できたら直接飛んで読んでいただいた方が色分けされてるので読みやすいと思います。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1868324193&owner_id=25133165
神はどうしてご自身の分身をこんなにもたくさん創造されたのでしょうか。
それはきっと、無限の機会の中から得られるあらゆる体験を通して、自分自身(神)を自覚するという目的があるためなのでしょう。
私たちひとりひとりの魂が、その壮大な計画の一端を担った欠かすことのできない存在であって、それぞれに得意とする役割が与えられているとすれば、その才能を開花させるのも人生の大きな目的になると思います。
また、他者への安易な依存心をなくし、自分の可能性を信じて疑わないことも大切なことだと思います。そうでなければ、私たちが個別に存在している意味も無くなってしまうのではないでしょうか。
今日ご紹介する本の著者は、世界的に有名なコメットハンター(彗星探索家)であり、臨死体験中に見た未来の地球からご自身のなすべきことを悟り、宇宙的な事柄はもちろん、身近な水やゴミなどの環境問題にも独自の視点で取り組んでいらっしゃる方です。
木内鶴彦著 生き方は星空が教えてくれる
生きがいと才能を引き出すシステムが必要 227〜230ページより引用
人間は誰でも自分が思っている以上の力を秘めています。
私は小学生のときに、そのことを痛感する場面に遭遇しました。
通学路を歩いていたときのことです。幼稚園児ぐらいの幼い子供を連れた若い母親が、私の少し先を歩いていました。その親子が交差点にさしかかったとき、子供が親の手を振りきって飛び出してしまったのです。車は急ブレーキをかけましたが、間に合いません。幼い子供は巻き込まれるようにして車の下に入ってしまいました。
驚いて大勢の人が駆けつけました。そのとき、誰もが我が目を疑うような光景が繰り広げられていました。若く小柄な母親が、我が子を巻き込んだ車をたった一人で持ち上げてしまったのです。
「こっ、子供を」母親の声に促され、数人の大人が急いで子供を車の下から引き出しました。我が子の無事な姿を確認した母親は、次の瞬間、その場にへなへなと崩れ落ちました。
いわゆる火事場の馬鹿力と言われるものなのでしょうが、それを目の当たりにした衝撃は大変大きなものでした。
あの母親は、なぜあれほどの力を発揮することができたのか、小学生の私にとってそれは長い間謎でした。しかし、自分が成長して親になったときにわかりました。
あの母親は、何も疑っていなかったのです。車を持ち上げることが自分にできるかできないかなんて考えてもいない、そんなに重い物とも思っていない。我が子を助けるために車を持ち上げることが必要だったから、ただそうしただけだったのです。
いい換えれば、疑う余地も無く、できると信じていたということです。
これは肉体の潜在的パワーを発揮した例ですが、これと同じことが意識や知識の面でも起こるのです。
できないと思ってしまったら何事もうまくいきません。
「私は木内さんみたいな才能はないから」「私ってダメな人間なんです」―そういう言葉を聞くと、私は本当に悲しくなります。そういっている人たちは、自分で自分の才能を殺していることに気がついていないのです。
自分以上に自分の素晴らしさを認められる人はいません。ですから私は、いつももっと自分をほめなさいというのです。自分の能力を認めて自分をほめてあげるのです。何も人前で自慢しろとはいいません。自分の才能が発揮できたと感じたら、鏡でも見ながら心の中で「俺ってこんなにすごいんだ」と思えばいいのです。
これをやると脳は喜んでどんどん活性化していきます。
自分の才能を見いだし、育み、活用していくということは、その人自身にしかできません。親が我が子の才能を信じて疑わないように、いえそれ以上に、自分で自分の才能を信じなければ、才能を最大限発揮することなどできません。
そのことを良く表わしているのが、癌のような病気に侵されながら病を克服した人です。私は医者ではありませんが、「太古の水」の関係で多くの癌患者に接してきました。そして見ているうちに、助かる人と助からない人では、その闘病の姿勢に大きな違いがあることに気づいたのです。
たとえば、同じような状態の癌患者が二人いたとします。一人は医者を信頼し、担当医にこう言います。
「先生。私はどうしても治したいのです。先生にお任せしますから、よろしくお願いします」
もう一人の患者は、「先生。俺はもういつ死んでもいいのです。だから自由にしてください」と言います。
みなさんはどちらの患者が長生きしたと思いますか。
実は後者のほうが統計的に見て圧倒的に長生きしているのです。前者のほうが病を克服したいという明確な意思表示をしているように思われますが、そうではありません。この患者の行為は、自分の肉体を治すことを放棄してしまったことになるのです。医師に任せるというのは、一見すると謙虚で素晴らしいことのように思えますが、実際には医師に依存し自分の責任を放棄したことになるのです。
自由にしてくれと言うのは、自分の生死を他人にゆだねず、最後まで肉体を信じ、自分を信じた人の言葉だったのです。
自分を信じきるということは、簡単そうでとても難しいことです。でも、自分に才能があることを信じ、その才能を輝かせることが、自信を培うことにつながっていくのです。
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