10数年振りの宇都宮泊まりで5時起床。
JR宇都宮駅まで歩き5時58分の日光線始発電車に乗る。
朝食は時間が時間だからコンビニのサンドイッチと寂しい限り。
日光行きは107系電車の6輛編成だが、レトロで厳めしい塗色とは裏腹に車内はロングシート。
日光への観光は東武の一人勝ちになって仕舞っているから、107系の様な車輛しか投入出来ないのだろうが、レトロな塗装はせめてものテコ入れだろうか。
尤も私が日光へ観光に行こうかと考えた場合、矢張り、浅草から東武特急「スペーシア」に乗るだろう。
日光線は、急行「日光」が東京へ乗り入れていた時分に乗せられたとは聞いているが、幼稚園の年少組で全く記憶が無い。
なので初乗車扱いにさせて頂くが、年少組から数えると一体、何年振りになるやら。
遠征の風景も宅地化が進み面影とか殆ど無いのだろうと思う。
単線のロングシートら、何やら奈良線に乗っているような錯覚を覚える。
ただ、日光線は歴史が古く皇族の利用も少なからずあったと云うから、鹿沼等の途中駅ですら重厚な感じを受ける。
東武の高架を潜ると今市。
この駅もホームに掛かる屋根が歴史を感じさせる。
そして6時39分、終着の日光に到着した。
折り返しの宇都宮行きは6時46分の発車。
日光駅は流石の貫禄である。
駅舎は重要文化財並みの洋館で、貴賓室さえ備えている。
ホームは原宿の皇族専用ホーム並み。
大社線大社駅をも思い起こさせる浮世離れした空間が広がっていた。
ローカル運用に特化した107系では勿体無さ過ぎる。
例え土日祝日だけでもレトロな観光列車を走らせれば人気が出るに違いないのだが。
折り返しの宇都宮行きは学生等で混んでいた。
7時27分に宇都宮に到着。
上野行きは7時35分と慌ただしい。
車輛はE231系で運良くボックスシートに着席出来た。
今朝も早かったから睡魔に襲われ、完全に目が醒めたのは赤羽を出てからだった。
上野到着は9時22分、9時25分発の京浜東北線に乗り継ぎ9時33分に東京着。
久しぶりの東京を味わう間も無く9時42分発の熱海行きに乗り換える。
211系クロスシート車を期待したがE231系のロングシート。
熱海までは二時間近くの長丁場なので、グリーン車を奮発する。
二階建てのリクライニングシートで、熱海まで950円は高くない。
座席は海側の9番A席に陣取った。
普段乗り馴れた東海道本線もグリーン車の二階からだと眺めも違う。
優雅に昼酒とも思ったが、まだ九時代なのに気が付いて、お茶で我慢する。
尤も他所のグループは酒を入れて良い気分みたいたが。
平塚までは東京圏内の都市と云う雰囲気だが、大磯まで来ると俄にローカル色が強くなる。
二宮を経て国府津まで来ると、いよいよ車窓に海が見えて来る。
小田原を過ぎると高台から海を見下ろす景勝地。
有名撮影地である根府川鉄橋を渡り、太平洋に沿って走る。
ここから熱海までが東海道本線で尤も美しい車窓だと思っている。太平洋を堪能して11時35分、熱海に到着した。
次の島田行きは11時38分、余り時間が無い。
18きっぷの時期だけあって可成りの乗客が乗り継ぐ。
6輛編成の313系が満員になり発車。
熱海を出ると丹那トンネルに入る。
先日通過した仙山トンネルと並び日本三大トンネルの一つに数えられていたトンネルである。
丹那トンネルを抜けると晴れから曇りに変わった。
列車が進むにつれ天気は悪くなり、沼津を過ぎると雨になった。
しかも段々と酷くなっている様で、雨が窓を叩く音が激しくなっている。
本来なら富士山が見える辺りなのだが、雨のせいで山裾すらどの辺りか解らない。
興津始発の浜松行きに乗り換え様かと思っていたが、目が醒めたら東静岡だった。
なので、そのまま島田を目指す。
焼津で雨も上がったが、まだ空は曇よりとしておりいつ泣き出すか解らない。
島田到着は13時19分。
目的の金谷は次の駅であり、何とも段取りが悪い。
浜松行きは13時30分、昼飯を食べて無いからいい加減腹が減った。
浜松行きの電車はロングシートの211系で、立ち席も可成りある位に混んでいた。
大井川を長い鉄橋で渡り、金谷到着は13時34分。
金谷で降りて、大井川鉄道の金谷駅へ。
お弁当のお握りで腹拵え。
14時03分発のダイヤだが、雨の影響か遅れている。
ようやく入線して来た車輛は元近鉄の16000系だった。
5分遅れの14時08分に発車。
車窓左に金谷の町を眺めて、新金谷に到着。
旧型客車が常駐する構内は、国鉄全盛期を思い出させる。
この客車を大井川鉄道ご自慢の蒸気機関車が牽引する。
時代を間違えて仕舞いそうだ。
余り時間が無いので駅前のプラザロコへ。
ここは、京阪3000系シールラリーのもう一つの終点。
無事にカードを入手した。
しかし、大井川鉄道でも萌えキャラとは…
14時54分の列車で折り返し金谷へ。
今度も近鉄16000系だが、リクライニングしない旧型。
金谷で「たそがれ終電きっぷ」を2000円で購入。
これは15時から最終まで新金谷から千頭の間が乗り放題になる乗車券。
金谷から千頭1800円程するので可成りお買得。
降客が途切れてから購入し、先程の車内へ。
いよいよ大井川鉄道に本格的に乗車する。
茶畑の見える田舎の風景を時代遅れの特急車輛で走る。
今やこれほどの贅沢はあるまい。
30年40年前の近鉄、国鉄の旅すら彷彿とさせる。
大井川鉄道の魅力は蒸気機関車だけに非ず。
何とも素晴らしい。
とは云え、五和駅でSL急行と交換した時に、矢張り乗ってみたいとは思ったのだが。
五和を過ぎると大井川に沿って山の中へ入って行く。
五和の次は神尾。
昨日は遠野。
霧島を訪れる日はいく来るのかは解らない。
段々と山の中に入って行くが、両側が茶畑だから、なかなか見れない光景だ。
近鉄吉野線とも違う。
大井川は雨の影響で茶色く濁っている。
大和田でまた、ぽつりぽつりと雨が雫を引いてきた。
家山で再びSL急行と交換。
今度は茶色一色の編成で、汽笛一声、発車して行った。
車掌が女性だったから、大東亜戦争末期かも知れぬ。
地名で金谷行きと交換したが、矢張り近鉄16000系だった。
新金谷の車庫には南海21000系や京阪3000系も留置されていたが、今は使われていないのだろうか。
塩郷の駅前には大井川に細く長い吊り橋が掛かっていた。
高さは然程でも無いが大井川を渡るのだから可成り長さはある。
迫力はありそうだ。
急坂が続き、大井川の川幅も大分て狭くなって来た。
蛇行する大井川を鉄橋とトンネルで交わして16時25分、終点の千頭に到着した。
千頭は思った程では無いが、山合のターミナル。
ここから先はアプト式の軽便鉄道井川線が続いている。
最早夕刻と云うべき時間で、ひぐらしの鳴き声が響いている。
折り返しの金谷行きは16時24分。
駅周辺を彷徨いて先程の車内に戻ると5割増位の乗車率であった。
日の沈みかけた大井川を相手に軽く呑もうかと思ったが、肴がかわきもの程度しか無く余りに侘しいので止めておいた。
夕暮れの大井川も格別だ。
日が山影に隠れて夕日が大井川に煌めきえもゆわれぬ美しさだ。
神尾で列車交換があった。
千頭行きは何と元南海21000系であった。
此方にもまた乗ってみたいものだ。
金谷には18時07分到着。
連絡改札を抜けて18時10分発浜松行きに乗り換える。
車輛は211系で帰宅客等で割と混雑している。
浜松には18時52分に到着。
豊橋行きは19時13分で、この間に晩飯を購入せねば京都に着くまで欠食になる恐れがある。
浜松駅ビル地下にあるメイビーワンとか云うショッピングモールで酒と肴を買い込み慌ただしくホームへ戻る。
丁度、211系と313系混結の豊橋行きが入線して来た所だった。
浜松出発時点では立ち客もいたが、駅毎に降りて次第に空席が目立つ。
19時45分に豊橋に到着。
次の特別快速大垣行きは19時48分で階段渡った向かいのホームだから慌ただしい。
お盆の期間だからか空いており、これなら一盞も出来る。
浜松で福島は二本松の「大七」なる酒を仕入れた。
多少甘口だがなかなかいける。
福島は何気に旨い酒が多い。
肴は鯵の叩きに金平牛蒡、鉄火巻に干瓢巻。
私は前々から思っていたのだが、甘辛く炊いた干瓢を巻いた干瓢巻は巻物の中で一番旨く、酒に合うと思っている。
寿司屋の技量を見るのにも良い。
こう云う安く仕事しなければならないネタこそが職人の技量の真髄だと思う。
鯵の叩きに限らず、青身の魚は好物である。
鰯にしろ鯖にしろ秋刀魚にしろ、青身の魚は安くて旨い。
中でも鯵は最上だと思っている。
金平牛蒡はお手軽な肴として私が良く作る。
牛蒡に限らず蓮根や大根の皮などで作っても旨い。
これで煮〆でもあれば一升酒なのだが、煮〆は出汁の味がものを云うので、惣菜で買う気は余り無い。
掛かった費用は900円程度で、駅弁よりも安くつく上に旨い。
駅弁は当り外れが酷いのでなかなか食指が伸びない。
我儘な舌を持った自分を恨む。
まったりと呑んでいたら、金山到着のアナウンス。
次は名古屋で、幾らお盆とは云え、名古屋からは乗って来るだろう。
ガリで最後の酒を呑み、晩餐は終わる。
後は濃いお茶でアルコールを流し出すのみ。
果たして、名古屋からは可成りの乗客があり、立ち客も出る始末。
それでも、お盆だから普段の列車に比べ格段に少ないと思う。
大垣には21時17分に到着。
次は関ヶ原を越える米原行きで21時36分の発車。
その間に関ヶ原行きのホームライナーを遣り過ごすが、これが「しらさぎ」用の683系。
もし米原まで行くなら間違い無くライナー券を買っていた。
36分発の米原行きは国鉄型の117系。
もしかしてこの旅で最初で最後の国鉄型車輛ではなかろうか。
そして、大垣は「奥の細道」結びの地。
東北旅行で松尾芭蕉の足跡にも触れた私に取って相応しい駅に思える。
定刻に発車して関ヶ原を越える。
8輛繋いでいるとは云え、乗客は少ない。
18きっぷトラベラーは少ないのだろうか。
大垣で買い足したビールとかわきもので一盞。
国鉄型電車に敬意を送る。
117系は、小学生の時分には阪急6300系以上の憧れの車輛だった。
特急料金無しで「踊り子」並みのシートに座れるのが関西の誇りだった。
今では、6300系の方がシートは柔らかく座り心地が良かったと思うのだが。
米原着は22時13分。
次の新快速姫路行きは22時15分の予定だったのだが14日の集中豪雨の影響で運休。
改めて凄まじい水害と思う。
次は22時41分の各駅停車京都行きだとか。
この私ですら困惑しているのだから、京都以西に行く18きっぷトラベラーにはもっと大変だろう。
付き合い切れないので、22時41分発の「ひかり531号」に乗り換える。
京都まで在来線だと0時前になるが、新幹線だと23時過ぎに着く。
2060円は安くは無いが、明日は仕事と考えたらやむを得ない。
それにしても米原から新幹線に乗る日が来るとは思わなかった。
米原で可成りの降車があり、空いているから4号車19番及び20番DEをボックスにして座った。
「のぞみ」に先を譲って出発。
京都くらいまでなら我慢するべきだったのかも知れない。
何が正しいのか解らないが、一つだけ云えるのは、18きっぷトラベラーには例えダイヤが乱れても何も救済は無いと云う事だ。
考えてみたら「ひかり」に乗るのも随分と久しぶりだ。
京都23時02分到着。
予定していた新快速より6分も早い。
しかし、予期せぬ事で最初と最後が新幹線とは奇妙な因縁の旅であった。
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