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2012年07月25日11:45

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個人時間。

時間というのは全ての物に対して地球上では平等に流れる。何故かと言うと地球が自転し1周する時間を24時間としてわざわざ人間が作った基準だからだ。厳密に言えば多少の微妙なズレはあるだろうし、宇宙空間に行けば地球上の物理法則が当てはまらないケースもあるのだが、地球上で人間が普通に暮らすにおいては然したる差はないと断言しても間違いではないだろう。

しかしこれが自分の中での時間となれば、個々に依り全く違う。単純に目をつぶって1分経ったと思ったら手をあげて下さいといったような実験ですら、結構なバラつきが見られると思う。この自分の中での時間の事を便宜上今回は『MT(マイタイム)』と呼ぶ事にする。これは時間、時刻とは全く違うもので、個人の中に流れる時間だと思ってもらっていい。

MTは相反する立場の人間でその長さを大きく変える。「待たされる場合」「帰りが遅い子供を心配する場合」「たいくつだと感じる場合」こんな時MTは実際の時間より遥かに遅くなる。5分なのに10分にも20分にも感じる事があるだろう。逆に「楽しくて仕方がない場合」「好きな相手とデート」「張り詰めて仕事をした場合」などはものすごく短く感じると思う。こういう風に状況によってMTはその速度を変える。

そして普段の日常生活においても、その速度は個人差がすごくある。「のんびり屋」「おっとり系」なんて言われる人はMTが遅く、「せっかち」「イライラ系」はMTが速い。

職場や学校といった集団が一緒の空間でいなければならない時に、MTは特殊な作用をする。側にいる人間を同じ速さにシンクロさせようとするように働く。そして大まかに吸収していき、気流のようにその速度差からある箇所にはウズを巻きながら、混じり合う。ところがあまりにも大きな速度差があると、そこに少し無理が生じ滞る。これには子供達はとても敏感でイジメの対象になりうる。この気流のようなMTの流れを読める人間は僕だけじゃなくて、結構存在するだろうが、MTには正式名称がないので他人とMTについて話した事はない。空気を読むという行為は、MTを見る行為も含んでいると思うのだが、空気を読むにはこのMTだけじゃなく、他にも個人個人の性格、話している内容、話の間を読む必要があるので、MT読みを含むという事ではあるがイコールではない。

このMTは同じ空間の中で長く一緒に暮らしている人間にはかなり似た速度で流れる。当然無理にこの流れに逆らう事は可能だが、かなりしんどい。このしんどさを感じた人間は耐えられなくなり、その場から立ち去りたくなり、自分の部屋とかの個室に別の空間を確保し、他人のMTに左右されないように遮断する。これが長く続くと、他人のMTに触れたくなくなる状態に陥る。これが所謂、引きこもりの症状だろう。小さい子供と一緒に24時間を過ごしている母親とかだと分かりやすいと思うが、子供とのMTは100%に近いくらい同じ速度の流れだ。主に子供のMTに巻き込まれるからなのであるから、それによる疲れやストレスは当然あるだろうが、MTが同じだから子供との間に、わだかまりはない。これが子供が大きくなり自我を持ち、自分のMTの流れを確保しだすとそうは簡単にいかない。これを調整するのにはかなりの努力が要ると思う。

僕が一番面白いと思うのは人と待ち合わせとかした場合、その出会う瞬間までは別々の行動をしており、全くMTの流れが違うクセに、合った瞬間に一斉に高速道路にでも乗って合流したかのようにグーーッっと混じり合うのを感じる時だ。 これが一緒にいるというパワーなんだなと感じる瞬間でもある。一緒にいないと心が離れると感じる大きな要因のひとつだと言える。

しかし、この速度差が激しすぎたり、大人数でまとまりがなかったりすると、人間は無意識にこのMTを近くの人間と合わせようとする習性があるから、ものすごく疲れる。

またこのMTの面白い特性はこれだけじゃない、過去にすでにあった出来事のMTを思い出として速度を自由に変える事が出来る。「この1年早かったなぁ」などと言いつつも1個1個ふりかえり直してみたら「いや、やっぱ長かったわ…」って思う事だってある。これは脳内でMT速度処理が思い出により変えられたという結果だろう。

30歳で生涯を終えた人間と、90歳で生涯を終えた人間とで、どっちが自分の人生を長く感じたか?というにはおそらく5分5分で同じだと思う。なぜなら30歳で死んだ人は90歳で死んだ経験がなく、逆もそうだからだ。人生にやり残した事がある可能性は当然30歳で死んだ人の方が高いが、それはMTとあまり関係がなさそうだ。という事は30年と90年とが同じ時間だとすると平均速度3倍のMTという事になるが、個人により相対量が変動するので、単純な割り算ではない。30歳で亡くなった方のMTと90歳で亡くなった方のMTの速度が同じでも相対量に対して同じなのであれば、そこに3倍の実際の時間の差はないと同じになる。

これって心の部分を論理的にした実験的な理論で、本を読んだ訳でも、参考文献があった訳でもなく、晩飯食いながらふと文章にしてみようと思った事なので、説明が難しかったけど、賢明な皆様なら、僕の下手な文の真意を読み取っていただける事と思います。

このMTの存在を知りコントロールする事は、人間関係の摩擦、セクハラ、引きこもり、イジメ、育児ノイローゼ、色んな事柄を解決に導くと思います。まずは自分のMTを自由にコントロールできるように訓練し、次は周りの人間のMTを読み、全体のMTの流れを、海流を読む航海士のようにするどく読み、うまく通る。最終的には他人のMTをもストレスを感じさせずに無理なくコントロールしてあげるテクも身につける。これが出来るか出来ないかで人生においてそれだけの得があるのか計り知れない。

時間感覚を持たない種族がいる話。未来という感覚が無い部族の話があった。そんな部族は心配していても普段より長く感じないのだろうか?まぁそもそも、ほっといても勝手に時間は流れる、タイムイスマネーなんてのは先進国の一部の考えであって、それが正しいなんて思っている日本人は単なる思い上がりだと思うのだがどうだろうか?

アフリカの考え方で「ササ(現在)」と「ザマニ(過去)」というのがあるらしい。この関係は私たちの考える現在と過去の関係ではなく、伝統的なアフリカ人にとって今起こっている、起こりつつあるササを説明し、意味付けて支えるものとしてザマニが存在し、ザマニとして蓄積された過去にないものは起こらない、そう信じるほど絶対的なものであるらしい。そして、この考えを支えているのは 「始源の時は、あらゆる時の範型となる。ある日起こったことは、たえずくりかえされる」 という感覚である。つまり出来事は未来に向かって進むのではなく過去(ザマニ)と現在(ササ)を行ったり来たりするという意味らしい。ササはザマニによって起こり、またザマニに還元されていく。このくり返しによって世界は存在し、ザマニとササと根本的に違った世界を思い描く由がない。だから 彼らは薔薇色の未来も、世界の終末も考えないし、進歩しようという信念もなければ100年後を心配することもないという事らしい。

この思想をもった人間のMTはどうなっているのだろうか?すごく単純な流れのMTであり集落の皆が同じ速度である気がする。

日本人の多くは、時間が生活を支配している。さほど意識する事もなく時間に沿って行動させられている。時間に間に合わないと社会的制裁を食らわされるので「罰を受けたり」「損をする」こととなる。それは会社や学校や待ち合わせに遅刻したことによって相手から罰を受けるだけでなく、時間厳守が高々と掲げられた社会では「ああ、遅刻をしてしまった…」という自らの罪悪感によっても苦しめられるのも含む。さらに家の中に入っても、テレビやラジオが時間を強制する。月9のドラマは月曜9時にしかやってないわけで、月曜10時や火曜9時にテレビをつけても、その番組はやってないので、特定の時間にしか番組は見ることができない。

こういった共通の時間である「時刻」で決められた制限ある生活が普通になっている為に、自分のMTを感じる余裕もなく、他人のMTに流されるケースが殆どで、むしろそっちの方が楽でいいとすら思っている人も多いのかもしれない。

僕の場合はこれが大嫌いだから、海外に住んでいると言っても過言じゃない。だからバリでは極力「○○時に待ち合わせ」はしない。「夕方頃いくねー」とか「この仕事終わったらいくわー」とか自分のMTで行動できる状況が望ましい。当然仕事となるとそうは言ってられないが、プライベートではMT速度を上げたくない!!

そして何より、一番気が付いたのは、人間の視覚は割と正確であるのに対し、嗅覚、味覚となるとかなり曖昧になり、個人差が大きい。生きていくのに重要だと思われる物の精度が高く、そうでないものは精度が悪かったり個人差が大きかったりするという事になりうと思う。このMTは本来人間には必要がなかった物なのかも知れない。しかし動物が心をもった時点ですごく重要な訳で、このMTはもっと早く解明されなければならない分野だったのかも知れない。
ただ心の分野というのはどの分野よりも遅れている。「心理学」だって学問として認められたのは最近の話で、昔は、まやかしだと思われていたみたいだ。現在だって心理学の先生が外科医の先生より給料が安く、立場も低い状態にあるのも事実だ。

「我は考える、故に我あり」の言葉の裏で考えれば、MTは脳内で作られる意識でしかない。だから当人が死ねばその人のMTは他の人の脳内に残ったイメージでしか伝わらない。MTは全く科学的な話ではない。脳内だけのお話だ。

過ぎ去った過去はこ瞬間にもどんどん発生している。1秒前の自分、10秒前の自分、コレを書いているちょっと前の自分、この過去はどうなっているんだろうか?過去というものは、空間や質量やエネルギーとして存在し続けているのだろうか?それともドンドンたれ流してしるだけで今という一瞬を通過した瞬間に消滅して無くなっているのだろうか?

単に脳内に思い出として残るだけで、実際は過去なんてものはすでにどこにも存在してなくって現在に過去の通り道が残るからそれを、物理的に掘り起こす事が可能なだけって話だろうか?過去の話をビデオにとってもそれを見る事が出来るのは現在であり、未来の事をいくら予定してもそれを実行できるのは現在だけであり、しかしMTは過去、現在、未来全部の速度を変える事が出来る。そう考えると脳内の想像だからMTは単なる夢と同じなのだろうか?現在起こっている事についての感覚という意味では視覚や嗅覚に似た感覚だと思うのだが、夢と現実の違いをハッキリさせた上でのMT論ってどうなるんだろうか?




子供の時の脳って、まだ情報量が少なく、色んな物を一生懸命中に取り入れようとしている。
そして、自分の世界が無限に広い。
自分と言う意識化におそらくは宇宙の果てやら、生死の境やら、世の中の全てが収まっている。
だから理解できない事への興味心が深く、そしてどうしても理解できないモノへの恐怖心も大きい。

これは自分の世界観が広すぎる為で、自分と言う存在が自分にとって大きすぎて、言うならばスーパー自意識過剰な世界に住んで言えると思う。
子供はみんなそうだと思う。

自分と言う存在でしか世界を把握する事ができない。
世界の全てが、自分の意識下に入っている。
13歳から20歳まではこれから脱却するかどうかに悩むと思う。


こういう時期には時間の感じ方が遅い。
1日や1年は相当長い。





個人差があるとは思うが、人間はある程度熟成されると、人生の半分は今まで生きてきた人生の思い出だけで生きて行くと言われてるらしい。

毎日、新しい日を送っているはずが、今までの経験の繰り返しで日常を生活し
その大半を今を生きながら懐かしく思っている。
言いかえれば、思い出に浸って生きているとも言える。

60歳で死ぬとすれば30歳、80歳でも40歳を越えればそういう状態に突入しているという事だ。
過渡期という事を考えれば、20歳代後半からすでにそうであるのかも知れない。

経験により、色んな世界や理解できない事をどんどん排除していき、自分なりの納得を身に纏い
自分の意識下にある世界もかなり狭くなってくる。
これは真面目で頭が良い人間ほど、どんどん狭くなってくると思う。
関係ない社会をシャットアウトして、自分の理論の世界をまわりに築き上げていく。



こうなってくると、世界は小さくなっていくが、それに反比例して
経験や学習などにより、情報量は半端なく多くなっていく。

これにより全ての情報を処理しきれなくなった脳が
かなり端折った情報処理を脳が行うようになる。

パソコンと違って人間の脳はバカ正直に処理を繰り返さない。
エラーは自動的に端折られる。


これにより、1日をすごく短く感じさせる。

”1年あっという間だったねー” っという事になるのではないか。






大人になっても、頑固じゃない人や、普段からぼーっとして何も考えないような人は
比較的、普通の人と比べて1日や1年が長いかもしれない。

ただ無知なるが故の快楽を、あえて目指すのは難しい。
物事を追及しすぎず、わざとにボケるというくらいしか思いつかない。



究極を目指すのならば、仏教の悟りや、ヨガの境地みたいなのが近いと思う。
空間からの離脱、時間からの離脱、子どもの時のように、頭を無にして、そこに一気に
たくさんの現象を叩き込み直す。
これが可能にあれば、1時間だって10年に感じる事は可能だと思う。




脳内の時間調整が可能であれば、昔の体感速度を表現する事で、あたかも年齢を遡る事ができるような事を再現も可能だと思う。これが真の意味で時間からの離脱を意味するのかも知れない。



情報を処理できる量と言うのは個人差もあるだろうが、ある程度決まっていると思う。
だから余計な情報を省いて、自我を逸脱したところで考える必要があるのだろう。



自我を捨てて無に帰す為に、坊さんは欲をまずは捨てて、俗世間を捨てて山に住むのだろう。
自分が仕事をしなくても十分に家族が暮らしていけるようになったら
この究極の脳を仕上げる為に山寺にでも籠りたい。



体内時間を自分で調整が出来れば、半永久的に生きられるし、すぐ死ぬ事も可能だと思う。

それはかなり魅力的だな。




================================ 参 考 ======================================

『ジャネーの法則』

ジャネーの法則(ジャネーのほうそく)は、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネが著作で紹介した法則。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に解明した。

簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)。

例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。

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