最近、運命共同体であるかどうかをよく考える。
自分のパートナーは運命共同体である可能性が高い。
当然、見ず知らずの通りすがりとは、共同体になりたくないと思う。
運命を共にするとは、どの程度の事を指すか?
私は、最低ラインは、お金というものに枠がないというラインのような気がする。
自分が金持ちなら、その資産を分け与えても良いと思える関係。
貧乏なら、一緒に苦を乗り越える覚悟がある関係。
病気になって死にそうならば、その費用を出してあげられるという関係だ。
最高に運命共同体である状態は命すら預けられる関係だと思う。
お国の為にとかは、まさにこの運命共同体。
彼女の為なら死ねる。
娘が病気で死にそうな時、変われるモノなら変わってやりたい。
そういうのも、同じだ。
現代社会は、運命共同体を嫌って、進歩してきた。
自分の自由にしたい、干渉されたくない。
そんな個人の気持ちが優先されている時代だ。
先日も、おひとり様で書いたが、集団から個への進化が甚だしい。
そして、そういう思想の人間は、誰かの為にとか
犠牲になるという事が、嫌いな人が多い。
本当の親友から、多少の迷惑をかけられても、それに怒りをぶつける人はあまりいない。
ちゃんと、コミュニケーションがとれるし、何より、人間を理解しているからだろう。
そんな事は絶対にありえないが、もし、世界中の全員が親友と呼べる程の人間関係になれば、世界から殺し合いや戦争は無くなると思う。
基本的には、良く知らない奴が死んでも、悲しくもなんともないのが人間だ。
悲惨な話を聞いたり、写真や動画を見たりするといたたまれない気持ちにはなるが、自分の親友や肉親が死んだ時とは全く違う。
自分に近しい人間であればある程に、悲しい。
どうして、他人を警戒し、仲良くできないのだろうか?
その理由には、かなり動物的な、奥深い理由がありそうだ。
どうあれ、個人主義に走り、人の為に尽くせない人種が増えると、人類は滅亡の方向に進む気がしてならない。
あえて、自然の人口調節のスタビライザー機能が、人口を減少させるように働いているのだろう。
成長方向に進むものを見るのは楽しいが、衰退方向に進むものを見るのは、どうも気が滅入ってゲンナリする。
命を預けてもいい運命共同体と呼べる家族、仲間が多い人というのが羨ましい。
私は、そこまでの関係の人間は、数名。
その手前のレベルで、10名程度しかいない。
実の子供には命を懸けられるが、親友となると、なかなか難しい。
人間の器というのは、このあたりの差なんだろなと思う。
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