仏教は、全ての欲を捨てる事で悟りを開く。
欲と言うのは、成長するのに必要不可欠なものである。
これを開放するという事は、成長しきった状態、もしくは、成長をあきらめた状態を示す。
究極の終焉と言えると思う。
キリスト教は、どんどんあたらしい宗教を飲み込んで進化してきた。
そしてこれから先もずっと進化し続けていくと思う。
そういう意味では、煩悩の塊だ。
七罪を悪とするが、その実は、全ての欲を人間の性として受け止めて
それを許すのが、現在のキリスト教ではないかと思う。
究極の欲は誕生を示す。
究極の終焉と、究極の誕生。
まさに表裏一体。
経典宗教であるキリスト教を学問だとするのは冒涜ににあたるかもしれないが
学問として仏教と表裏一体であるとすると、キリスト教、仏教、陰陽道はすべて同じ事を言っているにすぎない気がする。
今まで、私なんかより、ずっと頭のいい人間たちが考えてきた思想。
宗教はそれらの集合体。
利害が絡まない、元々の思想っていうのは、表現や道は違えど、言いたいことは同じなんじゃないか?と思う。
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