難しい日記、連荘で!w
法律は何の為にあるのか?
法律がなければ、どういう世界になるのか?
北斗の拳の世界状態になってしまうのか?
それは分からないが、法律がないと秩序が保てなくなるのは事実だろう。
悪が世に蔓延り、暴力や、不公平による格差が広がる。
だからそうならない為に法律があるのだろう。
だが、所詮、法律というのは、違反した人に対して罰則を与えるルールに過ぎない。
法がある事で、抑制力になるのは事実ではあるが、それは道徳ではなく、ガイドラインであると言えると思う。
陪審員制度は、そこに道徳や人情を挟む事ができるルールではあると思うが、法自体の精度が落ちるようにも思う。
法律を厳守しているから、道徳がある善良な市民?
文句の言い返せない店員さん、学校、犯罪者に、ここぞとばかりに罵倒を浴びせる事は
僕は善良という人間のする事ではないと思う。
『法律違反はしていない! 犯罪者は許すべきではない!』
それは理解できるが、法律はルールであり、それを守らない事がすべて悪いという訳ではないと私は思う。
品位のない人には、”善良な” とか ”道徳的な” という言葉が似合わないと思う。
A 『人を殺してはダメ!』
B 『なんで?』
A 『法律でそう定められているからだよ。』
B 『じゃー、もし法律でそう定められていなかったら、殺していい?』
A 『やっぱりダメだよ。かなしむ人がいるから。』
B 『じゃー、かなしむ人がいないような、天涯孤独な人なら殺してもいい?』
A 『だめ、かわいそう。本人が望まない事をしてはダメ。』
B 『じゃー、その本人が殺してと希望した場合は?』
A 『やっぱダメな気がする』
B 『気がするってのじゃ、理由にならないよ』
A 『……。』
人は、なんで殺してはいけない?
食べる為に動物を殺すのはいいけど、快楽の為に殺すのはダメ?
すべては法律に準ずるのが正しい?
こんなたとえ話はおかしいが、私は、自分の守るべき人が殺されたら、絶対に相手を殺すと思う。
それを他の家族が望まなくても、法的に間違っていても、道徳的に間違っていても。
私を非難する人、残された家族を非難する人、当然、そのつらさは半端ないだろう。
だから、残された家族は、どこかに移住させ、国籍も変えて死ぬまで暮らしていける十分なお金をあげる。
というか、私の突拍子もない行動を理解してくれない人とは、最初から一緒に暮らさない。
私が法律より、自分の信念を大事にするという事は、殺人だけじゃなくて、すべてにおいてそうである。
こういう思想を全国民が持っていたら、政治はやりにくいと思うし、安全な国家だとは言えないと思うので、推奨もしないが、生き様を変えるつもりもない。
人を殺してはいけないという法律には、簡単に人を殺させないような抑制作用はある。
ただ、実際に刃物や銃を持った人間や、頭の狂った殺人鬼から、身を守ってくれる事はない。
窃盗してはダメという法律は、簡単に泥棒させないような抑制力はあるが
実際に、自分の家が、空き巣に入られないようなバリアを張る効果はない。
だから、それを守るのは自分自身だ。
家族を守るのも、自分自信だ。
法とはそういうモンだ。
小学校の時に、イジメとかイタズラとかするヤツが
『誰がダメって言うた? そんな法律あるか?』 なんて言っていた気がする。
こんな小さな時期から、法律という物をはき違えているんだなと思った。
これは教育が悪いとしか言いようがない。
善悪の基準は法律ではない。
所詮は罰則を書いた文章の集合体でしかなく、ガイドラインであるという事だ。
善悪の基準は、自分の心にあるものだ。
それが人間性であり、生き様だと思う。
だから、法律違反してないから、自分は偉い! 一般的な善良な市民だ!
なんて本気で思っている人がいたとしたら、不憫で仕方がない。
本人というよりは、教育が悪かったのだろう。
世の中には色んな人がいる。
どんなに一生懸命話しても、絶対に分かりあえない人だって相当な数がいる。
特に、人種、派閥、宗教、応援する団体、アンチなんかにこだわっている人とは、なかなか分かりあえない。
だけど、脳の根本はそんなに敵対視するほどの差異はないと思う。
これを解決する方法はあると思うのだが。
まだ私には思いつかない。
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