世の中にはフェイク物があふれてる。
それっぽいの物、全てをフェイクというのならば、それはリアルの何百倍、何千倍も存在すると思う。
著作権というのも曖昧で、単に銭金に関する法律であり
本当の真実かどうかを示すガイドラインではないと思う。
アンケートを基にした記事も嘘だらけだろうし
歌が下手な歌手なんかもフェイクと言っていいと思う。
ただ今の世の中では、フェイクで、本当の真実とは左程関係のないのだけれど
なんとなくそれっぽくて、軽くて、バカにでもわかりやすのが金儲けの対象になるようだ。
日本人向けの作りだけそれっぽい名前だけのイタリアンレストラン。
韓国っぽい日本人の口に合う料理。
かっこよく見える安物。
使いにくい本物より、使いやすい類似品。
これは、本物より売れまくるから仕方ないと言えば、仕方ない。
いや、何も今に始まった訳ではないかも。
宗教にしても、窓口を広げる為に、アホでも分かるような謳い文句や、惹かれるフレーズを作る。
そういう意味では、今のフェイクの基礎を作ったのは宗教かもしれないな。
追及された真実や、本当に起こっている事実なんてのは、汚く、エグく、重く、ドロドロしてて、美しさがない。
だから、それの美しいトコだけを取り出し、汚いトコを隠し、美化して、商品化する。
これには、真実の重みがなく、軽く、入りやすい方が良いようだ。
昔の流行は、これに現実味がなく、ゴージャスな感じをブレンドして商品化するのが流行りだったが、今ではわざと庶民臭くして、親近感を煽るのが流行りのようだ。
商売の為に作られた虚構。
でも今は、情報化社会であるので、全ての情報を知って、その汚さも知った上で、きれいな部分で楽しめるような、強い心を持った消費者を教育するのが、提供側の役目ではないかと思う。
ただ、自由競争において、客を教育するのは極めて難しいだろうな。
個人が自分自身の意識を向上させるのが良いと思うが。
人間と言うのは得がない方向に進みたくない。
無駄な事をしたくないと思うので、それも簡単ではない。
私は、フェイクは嫌いだ。
でもフェイクの方が需要があるのであれば、むしろそのフェイクの方がリアルではないか?
と思う事が良くある。
でも、仮にそのフェイクがリアルだったとしても、本物のリアルにしか興味がない。
フェイク・ファー、フェイク・レザーなんてのも好きじゃないけど
でも、それはそういう商品であるので、フェイクと言う本物であるとは理解できる。
そういう物品ではなく、精神的な面に限って言うと
本当のリアルの中にはビジネスは存在してないと思う。
リアルの中にあるのは自己満だけなんじゃないかと。
だからビジネスで成功する為には、フェイクを極めるしかないのだろう。
ビジネスの為に頑張ろうとは思うけど、フェイクって嫌いだなー。
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