人間は皆、最後には死ぬことになっている。
人間は生まれてきた瞬間から
”常に死神に追われている”
という事実に気づかない人は多い。
不幸にも、生まれてすぐにこの死神につかまってしまう人だっているだろう。
100 才を超えても逃げ続ける人だっているだろう。
しかし、最後には例外なく全員が必ず捕まる。
人種、国籍、男女、富貴をとわず、死神は万人に訪れる。
そして、悪人が早く死神につかまり、善人が遅くつかまる訳ではない。
こんな人生のはかなさに気づいたとき、人間は宗教や哲学を生み出したそうだ。
宗教はこの苦しみから逃れるたに生まれた。
哲学は真実を追究するフリをして
実は、いかに 『人生の終わり』 から逃れるかを考える手段でしかなかったようだ。
中でも、『生まれ変わり』 は、その顕著な例だと思う。
輪廻転生、天国、地獄は、死んだ後に無になってしまうという恐怖が生み出した空想の産物としか言いようがないと思う。
「人間、40才までが本文、それを過ぎたら注釈の人生」 〜ショーペン ハウエル〜
これはすごく的を射ている。
平均寿命80才として、人生の半分を、若い頃の思い出とその解釈で過ごすというのである。
40歳を超えて、あらたな物を生み出す人は少ないという事だろう。
死に向かって、収縮する準備を始めているともいえる。
人生の半分は、思い出に浸り、過去の栄光にすがり、その基準を自分なりにまとめ上げるだけだという事だ。
私は、死んで無になる事は怖くない。
元より生物、この世のすべては、生まれて消えてを繰り返しており、それに意志など存在しないと思っている。
人間が考えるから、世界に意味があるように思うが、考えなければ、意味など必要がない。
必要と言う表現もおかしい。
意味を追及するという行為が人間独特の面白く興味深い行為であり、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。
生物は、生きて死んでを繰り返す。
その中で個々の意志が後世に影響する事はできる。
歴史を変える事はできる。
それによって、未来は変わる。
絶滅するはずだった種が、生き残る事だってありうる。
それはその種にとっては、雲泥の差である。
だが、それはこの世の森羅万象にとってはどちらでも良い事だとも思う。
私がする事など、なんであろうが無意味かもしれないが、すくなくとも私の知り合いの心には影響力がある。死ぬまで私は、そういう近しい人が笑顔で過ごせるように努力するだろう。
折角80年間生きられるのなら、半分を反芻する人生で送りたくはない。
死ぬまで常に前進あるのみ。
明日、死神につかまるかもしれないし、後悔のない人生を1日1日過ごそう。
ログインしてコメントを確認・投稿する