細木数子から始まった、強く言ってくれる人に依存する症候群。
最近では、マツコデラックスや有吉みたいに、強く言うんだけど、その中に気遣いや愛があるような
さらに進化したヴァージョンでないと、ダメな感じになってきた。
私には、全く理解できない世界なのだが、世の中はこういうのを好きだと感じる事が多いようだ。
特に女性は、感情を大事にして生きている方が多いので、物事を白黒はっきりさせないとイライラする方が多いと思う。
しかし現実社会は、はっきりと善悪すら分かれていないし、なんとなくな部分がやたら多い。
そのもやもやを毒舌で一蹴する姿が、爽快で気持ち良いと感じるのだろう。
私は、このはっきりしないのを、はっきりさせるという事自体に無理があると思う。
はっきりしないが答えならば、無理にはっきりさせる事が進むべき方法ではなく
何故、はっきりしないかの原因究明の方が重要だと思う。
ただ、この原因究明は、物事をはっきりさせる為にするのではない。
人間とはどういう性質を持っているか?を、知る為だけに行う行為だと思う。
だからはっきりには意味がない。
多くの人は分類分けが好きだ。
あまりにも種類が多いと煩雑になり、覚えきれないからだ。
それが、物事をはっきりさせたい理由でもある。
だが、実際は、自然界のすべての現象は、まったく同じものなど皆無だ。
傾向と対策を練るのはいいが、ディティールは全て違う。
その微妙なディティールの違いこそが、個人のアイデンティティであり
生きているという証だとも思う。
写真や絵を見て、どんな絵か覚えて下さいと言うと。
上に空があって、下に川が流れていて、そこに船があって、2人の男性が船に乗っていて、などと、分類分けでして、図形を覚える人が多いと思う。
そうじゃなくて、絵を全体のイメージで、細部まで覚えられる方が、いちいち分類分けしなくていい感じの脳が作れそうだ。
私は、脳の専門家ではないが、なんとなくこれって、言語を新しく覚える時に似ている気がする。
車を見て、これは車だから、モービルなのではなく、車という単語はすでにないものとして、その物体の名前がモービルって直接入ってくるみたいな。
図形や写真には意味がなくって、そのイメージがそのまま脳に入るみたいな。
右脳の動きってヤツなんだろうか。
それが活発だと、黒白がはっきりじゃなくても、大丈夫な気がする。
逆に、色んな経験や勉強により、左脳が発達しすぎた人が、黒白はっきりしないとダメなのかなと。
日本には昔から曖昧の思想があり、その中間を許容する能力が高い民族だと思う。
そういう意味では、非常に情緒のある民族だとも思うが。
白黒はっきりじゃないとイヤだというタイプが、男らしくて(女性だと竹を割ったような性格で)カッコいいってイメージもあって、それを全面に出している人が多かったのかなと思う。
そういう最近までは、私もその一員だった。
私も含めて、物事をすっぱ抜いて、文句を言って一蹴してしまうタイプの人間は、どんなに自分が悪でも、非難されても、それを貫くしかない。
それに引き替え、尾木ママ的なスタイルはすごいと思う。
概ね、正しく、良い事を言うが、たまに、思い込みで間違った事を言う時もある。
これは人間なら誰でもそういう事がある。
意見を主張したがるタイプの人が、間違うと、結構な集中砲火にあったりするのだが
尾木ママという人のスタイルは、その反対意見も簡単に取り入れて、それから先の道を
柔軟に導き出す。
柳のように、大きくしなって、倒し甲斐がないので、そこまで押されないし、仮にガンガンに押されても、十分にしなるので、柔軟な感じに仕上がっていく。
私には、マネできないようなタイプだが、これは教育において素晴らしい事だと思った。
・ビビらない、逃げない。
・素直。
・とことん、しなる。
・相手の意見を取り込む。
・対立しない。
・言うべき事は、きちんと主張する。
・常に物腰がやわらかい。
・怒らない。
・つい調子に乗るとか、ちょっと人間っぽい。
・頭が良くてもバカっぽくみえる。
・いつも笑顔。
・自分を犠牲する事をマイナスに考えない。
これはすごい戦術だ。
ガンジーの無抵抗主義より、はるかに上を行くように思う。
私にはマネできないが、教師となる人には、みんなこういうのが出来ればいいなと思う。
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