さて、晴れて? 会社を辞めた訳だが、何をするか??
しばらくは何もしなかった。
失業手当をもらう準備をしに職安に行ったりした。
そんなある日、高校の時の同級生で仲が良かった島崎という友達の親父さんが
脳卒中で倒れた。
そこの米屋を、別の同級生の友達が手伝っていたのだが、やめたいという事
だったので、仕事もしてない私が手伝いに行くことにした。
通い始めは、少ない仕事量だったが、仕事ができるようになる度に、どんどんするべき仕事が
増えていった。
最初は、リフトで米の袋をブッ刺してしまって、米を撒き散らしたり
米をトラックに偏った積み方をして落としそうになったり、色んな事件があったが
徐々に要領を得て行った。
しかし、私は、米屋をやりたい訳ではない。
仕事が増える度に、そして仕事が上達する度に、どんどん不安になっていった。
そして、友達の親父さんも復帰したので、そこの米屋の仕事を辞めた。
この間は、失業手当をもらっていたので、実は仕事でもなければバイトでもない。
単純にボランティアで、友達の家を手伝っていただけだ。
報酬のお金は1銭ももらってない。
そういう事にしないといけない。笑
毎日、激しい労働をして、遊ぶ暇などなかったし、実家に住んでいたし
出費がほとんどなかったので、60万円くらい溜まった。
これで何をしようかなーっと思った。
60万なんて、使ってしまえば一瞬のお金だ。
その時にちょうど、パチスロのクランキーコンドルという台の攻略法が流行っていた。
これしかない!!と思い
これにかけた。
毎日、毎日、パチンコ屋に通った。
朝9時から夜10時まで、毎日毎日。
約半年くらい。
これで、60万円は、350万円くらいになった。
そして考えた。
よし!このお金で商売をしよう! と。
しかし商売の資金にしては、ちょいと少ない。
これでできると言えば、飲み屋くらいしかない!!
そう思った。
今、ちょっと流行ってるメンズ(ホスト)にしようと思った。
色んな店に飲みに行って、情報収集した。
そして、2ヶ月ほどで
「ボーダー・ザ・ペンギンズ」 という、店を作った。
ボーダーというのは、スノーボードやサーフボードなど横ノリスポーツを指す。
ペンギンは、今は亡き祖父が南極探検隊の時に撮った写真に写っていたペンギンから取った。
最初は、ちょっとオシャレ路線を狙ったが、イマイチの集客だった。
次に、流行っている店のママさん連中と仲良くなり、お金持ちを
引っ張って来てもらう努力をした。
これが功を奏して、そこそこの売り上げが出た。
次に、思いついたのが、従業員募集の広告!!
水商売や風俗の女の子は、やたら、こんな募集の小冊子を読んでいたからだ。
従業員募集をしながら、客を呼ぶ方法を思いついた。
我ながら、天才だと思った。
その募集広告とは
『ジャニーズ系、男前、募集!!』
という言葉を足したという事だ。
当時は、そんな謳い文句の求人広告など全国でも1件もなかった。
この求人広告を見た、キャバなどの女の子は
『ジャニーズ系がいるって聞いたんだけど……』と言って
ウチの店に飲みに来た。
そして、実際に、そこそこ男前の従業員も確保できた。
まさに一石二鳥だ!!
そして、その中で、ダイヤの原石と知り合う事となる。
名前はテン。
本名ではないが、入店と同時くらいにそういうあだ名になった。
未だに、そのあだ名の方が有名で、本名を知る人の方が少ないくらいだ。
テンは背が180センチくらいで、イケメン。
ただ、入店時は、会話もできないし、酒もつくれないし、しゃべるの遅いし
何もできなかった。
従業員は、みんな 「あんな使えんヤツ辞めさせろ!」
と口々に言っていた。
しかし、私は、こいつは絶対にすごいヤツや!
ダイヤの原石や!
といって、あきらめなかった。
入店して数か月でやはり、テンは、化けた。
テンは店のNo.1になり、そこからペンギンの快進撃は始まった。
飲み屋界の常識や暗黙のルールなどを、覆しまくってやった。
お客様は神様ではなく、自分らのムーブメントに合わせさせた。
デタラメをやってとにかく注目を集めた。
750円で仕入れた酒を500円でボトルキープさせた。
柄杓(ひしゃく)で返杯をした。
よさこいにもチームを出した。
『素人が飲み屋出しても、すぐ潰れる。』
この言葉をぶっ潰してやろうと思って、ガンガンに進んだ。
開店から1年くらいで、超有名店となった。
かなりの売り上げで、お金なんかいつでもどうとでもなるなんて
調子に乗っていた。
そんなある日、テンは俺に追いつきたいという、一心で、ヘッドハンティングの話を受けてしまった。
店長で、月100万の給料で引っこ抜かれた。
だが、現実は悲惨だった。
テンはその店で半年働いたのだが、1回も給料をもらえなかったらしい。
そればかりか、売掛のバンスで、200万円払えと脅されていたらしい。
全部払ったかは定かじゃないが、それを支払って店を抜けた。
かわいそうに思って、従業員にテンを拾いに行くように指示した。
テンは戻ってきたいと、言ってたが……。
しかし、一旦、裏切った人間を簡単に許す訳にはいかない。
テンの出戻りを認めはしたが……。
私は、丸1ヵ月間、完全にテンを無視した。
挨拶もしないし、目も合わさない。
仕事の指示も、他の従業員を通して、指示した。
テンはそれに耐えた。
その当時のテンの彼女に聞いた話だが、毎日、仕事から帰ってきたら
泣いていたらしい。
けど、良く耐えた。
だから許した。
1ヶ月後に、初めて、テンに
『おかえり』
と声をかけた。
テンは泣いているのがバレないように、指示もされてもいない客席に勝手に座り
大声でお客さんを盛り上げていた。
この時期に実家では、大変な事が起きた。
父が、5年の月日を我慢して、とうとう我慢しきれなくなって、実家に帰ってきたのだ。
大声で、母に怒鳴り散らし、荷物をまとめさせて、家から叩き出した。
母名義の、銀行口座も、保険も、すべて、解約した。
本来であれば、母のサインとハンコがないと、そんな真似はできない。
しかし、父は相当な預金をしているし、田舎の権力者だ。
父に逆らう、銀行員や、証券会社はいない。
すべて、母の承諾なしに解約された。
母は、無一文で、叩き出されて、路頭に迷う事となった。
他所の歯科医の奥さん連中も、父をおそれて、母の味方をしなかった。
何十年も仲良くしてきた人がみんな手のひらを返した。
母は、泣きながら、人間の非情さを知ったと語っていた。
そんな中、なんとか、やすい家賃で家を貸してくれる人がいたそうだ。
母が自分で貯めていたお金が少しだけあったらしく、それで借りたらしい。
60歳前になって、職安に通った。
しかし、ロクな仕事なんかない。
その前に、お嬢様育ちで、30年間以上専業主婦の母に仕事ができるのか心配だった。
私は、自分の事業の運転資金が足りないと父に嘘をついて、母に渡した。
母は、アジアン雑貨屋を開いた。
名前は 『ハウダ』 。
象の上に人が乗る為の籠の名前だ。
母は精力的に、大阪や東京の仕入れ先を見つけた。
さらに、タイ、ベトナム、ラオス、インドネシア、などに1人で仕入れに行った。
そんな努力の賜物で、数年間は、売上は良かった。
しかし、数年後、不況の波には勝てず、年々、売り上げが落ちて行った。
とうとう、店舗の家賃が払えなくなった。
店をつぶすくらいなら、今住んでいる家を改装して店舗にしたら?と提案した。
結果、かなり規模縮小したが、家と店舗を兼ねた店ができあがった。
普通の家の一部屋に、商品が陳列しているという感じの店となった。
つづく
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