『義を見てせざるは勇なきなり』
ただし、後先の事を考えずに、ただ言動を起こすだけでは、正義とは言え、暴力に等しい。
マナー違反の人を正す行為は、良い行為であるが、単に
『それはダメですよ!』
と、いうだけでは、仁がない。
人に声をかけるという事は、ほんの少しでも、その相手の人生に参加するという事だと思う。
相手に全く興味がないのに、目に余るからと言って、それだけで声をかけると、いい結果にならない。
ルールを守らない人に、守るように注意する行為というのは、実は、自分の苛立ちをぶつける行為でしかない。
一見正しく、何の間違いもない行為に思えるが、良く考えてみると、それを言う事により、その相手がそのルール違反をやめたとしたら、公共の利益を保護したと言えるが、そうする事で色んな事件が起こった時に
『俺は、ただしい事を言っただけだ。』
として、起こりうる2次災害というか、付随して起きる事件について、全く知った事ではないとするのは、あまりにも無責任な事ではないだろうか?
勇気を出して、ルール違反者を注意する。
これだけでは『勇』ではない。
そうする事で、巻き起こるかもしれない事件や、波及効果にも責任を持つ事が『勇』だろう。
たとえば、酔っぱらって、駅のホームで大騒ぎする若者を注意して、喧嘩になり、暴徒と化した若者が、注意した人間だけじゃなく、周りにいた人間にまで暴力を振るった事件があったとする。
当然、一番、悪いのは、酔っぱらって暴力事件を起こした若者であるのは間違いない。
しかし、その若者に勇気を持って注意をした人間はヒーローではない。
それによって巻き起こる2次災害を引き起こした引き金の人間である。
これを防ぐ為には、警察に連絡するとか、その若者よりも、火力のある団体で制圧するとか、きちんとした、結末を先に考えてから注意するべきだったと言える。
ルールを守らない人間がまず悪いのは、当然、悪い。
だが、『暴力はダメ』 では何も変わらないし
『戦争反対』では、何も変わらない。
どうしてそういう事になったかの本質を見抜く事が、まず大事だろう。
暴力の本質とは何か?
若者が酒を飲んで、周りの迷惑を考えずに騒いでしまうという事の本質は何だろう?
法律が制定された本当の理由は何だろう?
それが分からないのに、ルールだからとか、法律だからとか、一般的な道徳だからとか。
自分の意思がない人間に説得力はない。
また、正しい事をしたり言ったりする事が、常に良い結果を生まない事も理解してこそ、初めて義の意味が分かるのではないだろうか?
正しい事を貫き通して、なお良い結果を生みたいのであれば、状況判断能力に長けていなければならないと思う。
力なき正義は、意味がないばかりか、さらに問題を引き起こす。
また、力の使い方を間違えて、悪を正す方法を間違えてしまった正義は、すでに正義ではない。
考え方ではなく、手法が善悪を分けるという事だ。
自分が正しいと言って、悪を罵る行為は、すでに悪であるという事だ。
だから
『義をみてせざるは勇なきなり』 これは正しいと思うが
そこに愛や仁がないと、それは勇により義がブレるという事だ。
自分の怒りの感情をブツけるという事は勇ではない。
相手の人生を考えてから、ぶつかるのが勇ではないのか。
そこまで考えては、何もできないという人は、愛や仁がない。
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