普通の事をそれっぽく書くとなぜか重い言葉になる。
理論がめぐりめぐって原点回帰した感があるからだろうか?
『腹が減っては戦は出来ぬ。』
『大は小を兼ねる。』
こんな言葉は深いようで逆に浅い気もする。
『普通である事の幸せを知る。』
などという命題は、浅いのに深い気がする。
評論家や哲学者は、本当は何の真意もない天才的な人間を深読みして解説をつける。
子供の書いた奇抜な絵に、心の闇を読み、その原因を探ったりもする。
実際は、理解しようがしまいが、末端に出てくる表現というのは、それほど変化がない事が多い。
いや、実は正反対の意味でも目に見える部分では見分けがつかない事だってあるかもしれない。
理論と技術と努力で武装したロボットみたいなボクサーと、カンだけで戦う天才野生児ボクサーの対決でどちらが勝つとも言えない場合だってあると思うが、どこかそれに似ている。
無知なるが故の快楽。
知能がない為に感じる幸せ。
知能が高すぎる為に、すべてを捨てて原点回帰する幸せ。
これらは同じレベルであると思う。
同じように聞こえる話でも
『 歩くから疲れる。
しかし、歩かないから疲れない訳ではない。 』
などというのは、含む範囲の違う言葉を相反してないのに、反対のように見せてそのチグハグさで驚きを誘うトリック。
実際は、すごくも、なんでもない。
しょうもない。
言葉遊びで、変な感動を与えるのは詐欺的だと思う。
同様に
『日の昇らない朝はない』
『今まで止まなかった雨はない』
なんてのも、あまり好きではない。
やはり、それよりは
『やりたいと思う気持ちに理由なし(シモネタか!?)』
『眠いから寝る、文句は言わせない』
なんて言葉の方が深い気がする。
真理とは、考えて理論立てて説いたモノではなく、その事象そのものなのではないかと思う。
なぜ腹が減るのか?
は問題ではなく、今、腹が減っているのが問題であり、それを解消する方法が真理であると。
なぜなら、なぜ腹が減るのか?という理論や生物の不思議を探求して、そのメカニズムを解読していったとしても、そこには、それより、もっとミニマムの世界が存在している。
唾液の消化酵素はアミラーゼで、胃の消化酵素ペプシンなんて事は小学校の時に習ったはずだ。
唾液中のアミラーゼはアミロースやアミロペクチンを、グルコース、マルトースおよびオリゴ糖に変換し、ペプシンはタンパク質分解酵素であるのでたんぱく質を分解する。
しかし、なんでそうなるのかというと、複雑な科学反応式が必要となる。
そして、その基本的な結合や分解の法則は、分子の性質によるのだが、その分子を分解するとさらに小さな粒子となる。現時点ではこれ以上分解ができないという素粒子というモノが発見されたようだが、もし、その素粒子も微分式のように、無限に小さくできるとしたらどうだろうか?
それは、事象を法則化できても、本当の大元にはたどり着けない事を示すのではないか?
反対にマキシマムな世界。
宇宙のはて、宇宙の外側、最大値だって無限なのであれば、すでに最大値、最小値という事が限りの概念がある世界での物理の理論は崩壊する。
つまりは科学なんていうモノは、所詮は事象の一部分の共通性の統計でしかないのではないか?何の真理でもない。
普通である事というのは、その事象そのものを示す場合が多い。
だから真理である。
だがここで、普通という概念がまた難しい。
人によって普通は異なる。
だが、私の持論では異なってもいいのではないかと思う。
自分の普通がすなわち心理。
真理に個体別の差異があるのもこれまた真理という訳だ。
これが正しいとすると、人類全員に共通の真理を求める事が、すでに真理とは正反対の行為だというパラドックス。
デジタルはバーチャルで、アナログが真理という感じだろうか。
であれば、法則、データ、なんてのはすべてバーチャルという事になる。
うーむ。
などと屁理屈をいうのは楽しいな……。笑
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