前回の日記に付随して、今回は”好きなる”という事を科学的に論理的に考えて見る事にする。
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http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20101014/Itmedia_makoto_20101014042.html?_p=2
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リエさん(仮名)がカレとデートに初めて出かけた時のことだ。
「お昼、どうする?」、リエがカレに聞いた。
「何にしようか」とカレ。
「●●ビルに、うどんのお店と韓国料理のお店があるの。どっちにする?」
「う〜ん(しばし考えて)、うどんにしようか」
リエはその日カレを振った。なぜか。ワケはこの短い会話に凝縮されている。
まず、初デートなのにランチの場所さえアテがない。これは“無思考・無計画なオトコ”というシグナルを送った。次に彼女の提示した選択肢で、うどんを選ぶという愚かさを露呈した。うどんは悪くないし、うどんを責めるわけじゃない。だが初デートでうどんかコリアなら、コリアしかない。これは普遍的な鉄則である。キミ、空気を読めよ。
そこで彼女は「カレは人のことを考えないオトコ」という結論に達した。蛇足だが、そのうどんが割り勘だったことがダメ押しになった。
ここで第二法則「嫌いが許容範囲を超えると、好きなものは見えなくなる」が展開される。
もう1つ例を挙げておこう。サラさん(仮名)は有能でジェントルマンな上司Kさんを尊敬していた。ところがある日の飲食店での出来事で、尊敬の念が粉々になった。サラさんの説明。
「もちろんお店の人が悪いの。お汁をドーンとこぼして、それがKさんのズボンにドッとかかっちゃって。でもね、その後が……『店長呼べ!』『クリーニング代全額出せ!』『ひざをついて謝れ!』と言うの。Kさんてそんな人だったの……と引きました」
郷好文
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この人は、”人間は「趣味が同じだから」「話していて似た価値観があるから」「出身が同じだから」など、好きなことや相性の一致を求める。”と書いてある。
まずはつっこみどころ満載な文章だ。初デートで”うどんか韓国料理”という二択はないだろう。
そして、”コリアしかない!” って四国民をバカにしてるとしか言いようがない。
そして韓国料理の事をコリアと呼んでしまうトコ、また”コリアしかない。これは普遍的な鉄則である。キミ、空気を読めよ。”と断言できてしまう暴君さから、そうとうわがままな人間と予想される。
そのわがままな固定観念が”うどん”を選んだ人間とを拒否してしまう一番の原因であるのだろう。
さらにこういう文章もあった
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好きはきっかけで始まり、要素の重なり具合で強くなる。ところが嫌いが許容範囲を超えると、好きはパッと消滅する。この関係はどうやら脳ウンチク学的にも説明がつく。
好き嫌いを決めるためには、脳の3つの部所が関わる。まず、大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)は大脳の古い皮質で、人の本能に関わる部分。ここに「美しい」とか「好き」とか「嫌い」とか、「快」か「不快」かという感覚情報が集まる。好きの要素が集まり重なる場所だ。
そして2つ目は大脳新皮質である。ここは人格・意欲・創造性を司る機能、つまり理性を発揮して「やっぱりこれ嫌い」や「好き」を感じる。「値踏み」もしくは「世間体チェック」とも言える。
だが快・不快を初期判断するのは、大脳辺縁系の奧のアーモンドのカタチをした扁桃核(へんとうかく)とされる。
この情動を司る器官が好き嫌いを決めている。良いことが続けば「好き」、不快なことが起きると「嫌い」を発動する。
要するに好きにさせる戦略には3段階ある。ターゲットの扁桃核へ好きになる(不快にさせない)きっかけを働きかけ、好きを持続させる要素を大脳辺縁系へ積み重ね、そして離反させないシナリオで大脳新皮質をコントロールする。
好きなものから要素が欠けたとき、それの何が好きだったのかが分かる。
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この郷好文という人の偏見がかえってそれを裏付けるという皮肉な文章でもある。
まとめてみよう。
�,泙鎖佑鮃イ�にさせるには、大脳辺縁の扁桃核を刺激する為に”相手を不快にさせない”。
情報を得てその要素が好きになるので、まずは興味を抱かせる。
�△海譴魴�り返し持続させる。似ている部分、好きな事の一致をはかる。
�B臟梢携藜舛鬟灰鵐肇蹇璽襪垢覦戮房�分を値踏みさせて、相手に好かれるようにする。
こうすれば好かれるという事か。
私の実体験ではこの単純な作業とはすこし異なる。
相手を不快にさせないというのは、営業マンが地味なスーツを着る事などにも通じていると思うのだが、私は必ずしもそれが良い方法だとは思っていない。
不快に思うという事は個人によってかなり違う。一般のこれが普通だと思われている事は常に時代に乗り遅れている。要は時代遅れな戦略という事だ。当然ターゲットの年齢や顧客層にも関係するので、流行りは良くて、時代遅れが悪いという判断はおかしいのだが。
まずは、不快にさせないから入るのはかなり正しいだろう。
しかし、ある程度のギャップを持たせる事がかなりの有効打になると思われる。
・チャラそうに見えて、しっかりしている。
・バカそうに見えて頭が良い。
・悪そうに見えて結構、真面目。
・ドン臭そうに見えて機敏。
・ダサそうに見えて歌やダンスがめっちゃうまい。
などなど。
最初からの期待度を下げる事により、感動を煽るというパターンだ。
超高級ホテルで、ちょっとのそそうがあっただけで、怒りまくるのは過度の期待があるからだ。
ボロホテルで良い感じの接客があれば、期待してないだけに、にんまりしてしまう。
こんな話を聞いた事がある。
ある喫茶店でランチを始めた。看板に”食後のプチケーキ・サービス!”と大きく書いて、お客にアピールしたらしい。ところが、そのプチケーキというのが、本当にプチで小さかったらしい。
するとお客は口々にこう言ったらしい『マジ、プチすぎるっしょ?しょぼくない?』と。
こまった主人はその看板を外した。そして、何も書いてない状態で、『サービスです、どうぞ』ってケーキを出した。
するとどうだろうか?今度はお客は『あ、ありがとうございます!』って笑顔で帰っていった。
まさにこれだ。期待していないからウレしかったのだ。
ギャップというのは、期待をしてないところからの喜びを生む。
逆の場合のギャップは地獄へと叩き落とされるのは言うまでもない。
これを利用しない手はない。あえて下手に出て偉そうにしない。
得意な事もアピールしない。これだけで一石二鳥の効果がある。
謙虚な人はモテる。そしてギャップで感動を与える。
しかしここで問題もある。これを計算してやっているとバレると、まったく逆効果だという事だ。
自分が操られていると思うと人間は一気に冷める。そういう意味ではこの文章を書いている私というのは冷めて見られる対象でしかないだろうな。ま、いいや(笑。
映画の本当の裏側や、水商売の本当の裏側は見せるものではないと思う。
しかし、一部の頭のいい人間に対してはそれをさらに利用して、”君だけに”、”あなただけに”という特別な優越感を与える為に見せるという高等テクニックも存在するので、一概に全部がアウトという訳ではあるまい。
これを応用する事で、会話のバランスをとるというスタビライザー的な技術を身につけると相手を揺さぶる事も可能だと思う。
ここまでが私の考える�,冒蠹�する部分だ。
次は�△冒蠹�する部分に進んで行こう。人は似ている部分や共通点、同じ趣味を発見して安心感を持ちたいと思うという。これはかなり有効な手だ。あえて、自分が興味がなくても相手の興味がある事に対して、積極的に質問をしたりする事は会話の基本とも言える。
さらにどうしてもその会話に乗り切れないという場合は、自分の趣味と置き換えて、共通点をつくり会話の枠を広げるという手もある。しかし相手が自分の趣味に一切興味がなさそうな場合は、その話題を続ける事は、”ワガママな人だなぁ……”という印象を与えてしまう。
わざとに、ワガママだと相手に思われる以外では、使わない方が良いだろう。
わざとに、ワガママだと思わせる事の最大のデメリットは”嫌われる”という事であるが、メリットは”相手に完全に主導権を渡さない”という事ができる。
だが、女性は若ければ若いほど、共通の箇所を無理に探し出そうとする傾向にある。
だから、つかみの状態では、むやみやたらに自分中心な会話をさけて、聞き手に回る方が賢明だろう。
女の子は普通を求めて安心したい。だが普通ではない目立つモノに憧れる習性もある。
それを埋めるには個性を光らせ、かつ安心感を与えるという矛盾した2つの作業を同時に行う必要がある。
それには常識人であるところと、非常識人であるところの二面性をきっちりアピールする必要があるだろう。それが今後、”急に冷めた……”なんて事を防止してくれるに違いない。
��に関しては、イマイチ理解していないが、相手をキープする能力という事か。
人間を値踏みするとはいえ、相手に完璧を求める人は少ない。なぜなら自分が完璧でないので、完璧に近い人間を理想にすれど、実際そういう人間と一緒になると疲れるからだ。
包容力、甲斐性、男っぽさなんかは当然必要な事なのだろうけど、実は、いい加減っぽさ、ダメさ加減、が継続には必要なスパイスなのかもしれない。
相手からの期待度をコントロールするというのは必須なのかも知れない。
過度の期待を普段からさせない。でも何かのイベントの時には恥ずかしくないギリくらいでガツンとやる。普段はリラックスできるように空気のように普通、〆るとこは、ガッツリ〆るみたいなのが良いように思う。
色々と書いたが、相手に好きになってもらうという事について、最大の武器は”目”だと思う。
それは生まれ持った資質+どれだけ勉強してるかだ。
いい目をしている人は好かれる。
生まれ持った資質があまり無い人は、人の何百倍も努力しないとダメだと思う。
負け犬の目、ひがんだ目、自信のない目、押し出し感の無い目は好かれない。
私個人は、やたら目力があるだけで、そんなに頭が良くない人ってのは大嫌いなので、一概に目力があるのが良い訳でもないと思う。
目力の中に、思慮深さ、優しさ、負けん気、ちょっと勘違い、なんかかが混在している人は、芸能人とかになりやすいと思う。
目を輝かせるには、道徳や生き様を磨くしかないと思っている。
思想、筋、生き様にバシっと一本通っている人は、人に好かれるし、嫌われもするが、人生においてかけがえのない人間と出会える可能性が高いと思っている。
人間の発っするオーラとか言うと笑われると思うけど、そういう”気”みたいなモノは人を引きつける能力が一番あると思う。
私も日々精進して頑張って生きて行こう。
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