青信号は渡っていい。赤信号は止まるべきだ。これは先人がつくったルールである。
道路交通法に明記されている。しかし車が赤信号で停止する確立は100%ではない。
それなのにそれを100%だと過信している理由はなんだろうか?
”青でも車が来ているなら警戒するべき”
これが今の日本人にはもっともかけている事だ。守られすぎというか…。信じすぎというか…。
交差点内の全部の信号が赤ならまだ事故は起きないが、全部の信号が青になれば酷い事故が起きる。
ゴーサインである青の方が安全であるというのは完全にルールありきであり、本来は青の方が無秩序だ。
本当に自分の身に危険が襲ってきた場合、どれだけ自分自身で回避できるだろうか?
警察という機関がなんらかの理由で完全に機能しなくなった場合、人々はどうなってしまうのだろうか?すぐに警察という機能が復活する兆しがあれば、まだ民衆には後で逮捕されるかも…という心があるだろうが、確実に当分の間、復旧のメド無し!となった場合どうか?
街は強奪で溢れ帰り、若い女性は乱暴され、喧嘩の結果野垂れ死んだ人がそこらにいたりして、欲望のままにやりたい事をする人だらけになるのではないだろうか?
北斗の拳状態??
人間はそんなに荒んでいない? はっきりと断言できますか?
法律という大きなもので守られてる私達。命も生きる事も法律で守られている。
しかし本当は自分ひとりひとりが自分を守るべきである。
人を殺した人間をどんなに卑下しようが死刑にしようが、殺された人は絶対に生き返らない。
それが世の中の真理だ。法がなくなれば弱肉強食の動物の世界にしかならない。
たとえ法に守られた状態であっても、災難はいつ降りかかってくるか分からない。
”それはしてはいけない事になっている。” ”そんな理不尽な事が通ってたまるか?”
なんて意見だけでは、全く安全ではないという事だ。
民衆を統括するには法律が必要であり、それに違反した者を罰する機関も必要である。だから立法・司法・行政が三権分立して存在するが、それは人々が安心してくらせる国を作る為の事であり、実際に銃器をもった悪意ある人間からは身を守ってくれる訳ではないのだが、それを無意識に履き違えている人が多いのだと思う。
法律というのはある程度のライン引きをしないと法律として意味がないので比較的に人情や道徳観念と反する方向に進む場合もある。当然、うまく出来ている法律だってたくさんあるのだが、私のような人間は、完璧を求められる存在の中に少しでも不合理な点を見てしまうと従う気がうせてしまう。
私という天邪鬼な人間は、タバコ吸うなと言われればガンガンに吸いたいし、変形学生服を着用するなと言われれば短ラン・ボンタン着たいし、髪を染めるなとい言われればキンキンにしたいし、CO2を出すなと言われればCO2を排出したくなるし、捕鯨するなと言われれば捕鯨したい男なのだと思う。
こんな偏屈者ばかりの国だったら国家は崩壊するかな?世の中バランスよくできているもんだ。
冗談はさておき、法で守られた国の法律が意味を持たなくなった場合の事を考えた事がないというのはあまりにもナンセンスだ。剣士が剣を持たない時の対応を怠るが如しだ。
国家がそれを教えていないという現実。できあがった事実のみを教える事にあまり意味はない。どうしてそうなったのか、それがないとどうなるのか?を知らない人に”保護や安全”を与えるのは過保護というか、それ自身が意味を失うのだろう。
校則で違反だとされる事はどうして違反なのか?という信念を教師1人1人がきちんと生徒に説明できるべきであろうし、国家であれば、どうして法律違反なのかを警察やその立場にある人間1人1人が国民にきちんと説明できるべきであると思う。
そして国民は無条件に何でも”昔からそうなってる”と思ってはいけない。些細な事でも1つ1つ真面目に考えた方がいい。
それが1人1人の危機管理能力アップにつながるだろう。
安全に遊べる浮き輪を買ったとしても、安全だと謳っている肉を買ったとしても、個人で十分に検証すべきだと思う。スーパーで買った肉が薬品臭ければ、食べる前にきちんと調べるべきだし、安全器具の不良品を0.01%の確率で掴まされて死んでしまった後に、損害賠償をおこして大金ももらっても、死んだ人は生き返らない。
すべては自分で判断するという事を忘れてはいけないと思う。
平和ボケという言葉は登場してから久しい。いつもギスギスしていなければいけないと言っている訳ではないが、常に色んな状態を想定する能力がないと最悪の事態に備えられない。
ログインしてコメントを確認・投稿する