「死刑囚に会うの無理ですか」娘を奪われつらさ伝えたい遺族
(読売新聞 - 12月12日 07:59)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=693872&media_id=20
死刑が良いのか悪いのかという議論は良くされるが、拷問などよりはまだマシな刑罰な気もする。串刺しにしたままで死なないような状態を保つとか、手足をモギ取って生かすとか、死刑よりも、えげつないのはどうかと思う。
電気イスや絞首刑である意味は何なんだろうか?
たとえば薬で安楽死では、被害者の遺族が納得しないから電気イスなのだろうか?
おなじ苦しみ、またはそれ以上の苦しみを与える事で、その犯罪を犯した人間が更正するとは私は思えない。しかし命を奪うという事が最大の刑罰であると考える法律は間違っているとも思わない。
あきらかに故意で、他人の命を奪った人間は、当然、自分の死で償うべきだろう。
たとえば私が自分の娘を誰かに殺されたら、犯人を普通に殺すだけでは済ましたくない。
人間として最大の屈辱を味合わせながら、毎日拷問にかけて、その後で死んでもらいたい。
しかし、これをやると次は私が残忍な殺人犯になる。しかも、誰も私がそんな事をするのを望んでいないかもしれない。そうなると私がそうする意味というのは何だろうか?単なる自己満足だけか?しかし、そうしたい衝動の原動力って何なんだろうか?
悲しい気持ち、寂しい気持ち、というのは、怒りよりも何よりも強いパワーを持っている。
そして、とてつもなく強い ”恨み” を生みだす。
怒りはすぐに風化するけど、恨み、辛みはなかなか消えない。でも、どうして人間の心はそういう風に出来ているんだろうか?
人の命ってのはすごく儚いんだけど、普通に暮らしていれば滅多に消えない。
自分の命はどこまで続くのだろうか?
70年後? 10年後? まさか明日まで?
自分がこの世に生まれてきた意味ってのを自分なりにでも理解できたら死んでも後悔しないような気がするが、やっぱり”明日死にますよ!”とかって宣告を受けたらパニックになるだろうなぁ。
もっと生きるって意味を勉強しよう。
”死について”や、”生について”を、一生懸命に考えれば考えるほど、自分はまだまだなんだなって思い知らされる。
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