※トップ画像:浮世絵 待乳山(文庫屋大関)
※背景画像 :待乳山聖天近景
浅草聖天町(あさくさ しょうでんちょう)
町名は大聖歓喜尊天を安置する金龍山聖天宮(現在の待乳山本龍院)に由来します。
町の成立年代は不明ですが、1670年頃に出版された寛文江戸絵図には既に「聖天丁」という記入があるので、数ある江戸の町でも古くから開かれた町であることが窺えます。
文政年間(1818〜1830年)の家数は横町(聖天町附横町)を含め618軒。鶴屋の米饅頭が有名で、下駄・草履の鼻緒を売る店が多かったと言います(買物独案内)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数530・人口2,091(府志料)。
明治以後、以下のように町名が変遷しました。
※東京府浅草区聖天町(明治11年11月〜)
※東京府東京市浅草区聖天町(明治22年5月〜)
※東京都浅草区聖天町(昭和18年7月〜)
※東京都台東区浅草聖天町(昭和22年3月〜)
1966(昭和41)年10月1日、住居表示の実施により、大部分が現行の浅草7丁目に、江戸通り西側部分が浅草6丁目に編入となって、聖天町の名称は消滅しました。
2020(令和2年)年12月1日時点の、浅草7丁目の世帯数と人口は456世帯・762人。
縁があって浅草7丁目・浅草聖天町に住むことになりました。
日々の生活を通じて浅草聖天町の魅力に触れたいと思います。
聖天町だけでなく、浅草・上野などの台東区、また、下町に興味のある方、大歓迎です。
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