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詳細 2021年9月20日 22:41更新

(ルイ・アームストロング)
1900 - 1971
<トランペット、ボーカル>
愛称は「サッチモ」。
ジャズの故郷ニューオリンズに生まれ町のバンドでコルネットを吹きながら
草創期のジャズを吸収した。
その後、恩師であるキング・オリバーのバンドに招かれシカゴに移り大活躍を遂げる。
ジャズ創生において必要不可欠なエンターティナー。
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(デューク・エリントン)
1899〜1974
<バンドリーダー、ピアノ>
エリントンは言わずと知れた最高峰の作曲家とし上げらえれる。
1927年にはハーレムのコットンクラブにレギュラー出演し名声を高める。
ビッグバンドによるジャズは1920年代のハーレムで生まれ、
以後王道を歩み続けたのはエリントン・オーケストラだけである。
幼少の頃から愛称はデューク(公爵)と言われ、天性のリーダーシップを発揮してた。
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(カウント・ベイシー)
1904〜1984
<バンドリーダー、ピアノ>
スイング時代よりデューク・エリントンと並ぶビッグバンドとして君臨。
また、ピアニストとしても個性があり、そのユニークさが知られている。
カンサス・シティを経て、1936年末にニューヨークに進出。
50年以降はニュー・ベイシー・バンドと呼ばれ、アレンジに重きを置くようになる。
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(ベニー・グッドマン)
1909〜1986
<クラリネット、バンドリーダー>
キング・オブ・スイングと言われる程の白人クラリネット奏者の最高峰。
1930年後半はスイング全盛期の立役者として活躍した。
また、1938年にはクラシックの殿堂であるカーネギーホールで
初のジャズコンサートを開催し歴史的な快挙も達成している。
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(コールマン・ホーキンス)
1901〜1969
<テナー・サックス>
スイング時代のテナー・サックス奏者。
1920年後半に、ビッグ・バンド・ジャズの先駆、
ハーレムのフレッチャー・ヘンダーソン楽団で活躍しながらスタイルを確立した。
その後、「ボディ・アンド・ソウル」の大ヒットなど
トッププレイヤーぶりを発揮し、ソニー・ロリンズなど、
この後に出てくるテナー・サックス奏者に多大なる影響を与えている。
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(レスター・ヤング)
1909〜1959
<テナー・サックス>
ホーキンスと並んで当時のテナーサックスを支えていたプレイヤー。
1930年から40年には、カウント・ベイシー楽団にも所属しており、
独自のテナースタイルで注目を浴びている。
だが、その後人種差別などの精神的ダメージにより酒、麻薬にのめり込み、
以前の輝きを失ってしまった。
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(チャーリー・パーカー)
1920〜1955
<アルト・サックス>
天性のジャズセンスを持っていたチャーリー。
その生きざまは映画「バード」で描かれている。
革命児だった彼は、スイングスタイルだけではなく、
ジャムセッションを通じて同志を得、新しいジャズブームを起こした。
また、作曲能力にも優れ、多くがスタンダード化しており、
50年代に入ってからは名声は揺るぎ無いものとなるが、
酒、麻薬により30歳半ばに生涯を終えている。
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(ディジー・ガレスピー)
1917〜1993
<トランペット>
チャーリー・パーカーと共にビ・バップの象徴として、
当時のジャズ・シーンを大いに沸かせたエンターティナー。
頬を膨らませて吹く姿はガレスピーの特徴でもあった。
当時、麻薬などに手を出すジャズメンを尻目にガレスピーは
一切クスリには手を出さず、ひたすらジャズに没頭したようだ。
前向きな姿勢と、周囲を明るくする性格はまさにジャズ界のエンターティナーである。
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(セロニアス・モンク)
1920〜1982
<ピアノ>
チャーリー・パーカーとともに、ビバップを創造したピアニスト。
また、個性派ピアニストとしても有名でユニークなオリジナル曲を数多く作り、
中でも「ラウンド・ミッドナイト」は名曲中の名曲としても知られている。
50年代に進むと名声が高まり、ジャズピアニストとしての地位を確立した。
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(バド・パウエル)
1924〜1966
<ピアノ>
モダン・ジャズピアノの開祖。
先輩でもあるモンクに認められ、ビバップ・ムーブメントとと共に歩み、
その中で独自のスタイルを確立する。
40年代にはベースとドラムを加えたピアノトリオにより名演を残した。
現在のピアノトリオの原点を創ったピアニストでもある。
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(チェット・ベイカー)
1929〜1988
<トランペット>
フォトジェニックな風貌と哀愁漂う演奏で多くの女性ファンを
魅了したジャズ界きってのプレイボーイ。
1952年に当時22歳でジェリー・マリガン・カルテットに加わり、
マイルスを抑え、べイカーはこの年にダウンビート誌の新人賞に輝いている。
風貌だけではなく実力も兼ね備えたトランペッターであった。
その後は傷害事件や麻薬などの人生を送り、晩年は華やかなプレーも
影を潜めてしまった。
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(クリフォード・ブラウン)
1930〜1956
<トランペット>
ハード・バップ期を飾った天才トランペッター。
40年代後半よりジャズシーンに登場する。
54年には名ドラマーのマックス・ローチと双頭クインテットを結成。
ハード・バップ幕開けを告げる、バイタリティ溢れた名演を繰り広げたが、
その絶頂期に交通事故により帰らぬ人となってしまった。
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(リー・モーガン)
1938〜1972
<トランペット>
天才的なジャズセンスを持つ最もグルービーなトランペッター。
若干18歳でディジー・ガレスピーのオーケストラに参加し、
ジャズ・トランペッターとしてのメジャー・デビューとなる。
その後はクリフォード・ブラウンに変わってジャズ・トランペット界を担い、
短いジャズ人生を疾風の如く駆け抜け、素晴らしい名演を数多く残してくれた。
奇しくも1972年にニューヨークのジャズ・クラブで女性に銃撃され帰らぬ人となる。
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(チャールス・ミンガス)
1922〜1979
<ベース>
40年からプロ活動を始め様々なバンドを渡り歩いた。
50年代には精鋭メンバーを加えたリーダー作を次々と発表し、
リーダーとても、作編曲家としても優れた才能を発揮している。
野性味溢れる野太いベースが男臭くて好きである。
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(ビル・エバンス)
 1929〜1980
<ピアノ>
白人モダン・ピアニストの最高峰。
ネオ・ロマンティシズムと言われる知的で叙情味
あふれる演奏は、現在でもエバンスを越えられる
アーティストは居ないほどの天才ピアニスト。
50年代半ばにニューヨークに出てプロ活動を開始。
58年には短いながらもマイルス・デイビスのグループに在籍していた。
その後、独立しトリオを結成し成功を収めた。
また、作曲能力も優れておりエバンスの代表作でもある
「ワルツ・フォー・デビー」は名実ともに最高傑作に上げられる。
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(ジョン・コルトレーン)
1926〜1967
<テナー・サックス、ソプラノ・サックス、フルート>
60年代のジャズ界を代表するサックス奏者。
音楽性はもちろんの事、人間性にも大変魅力があるアーティストであった。
1955年にマイルス・デイビスにより彼のニューグループに迎えられ、
注目を浴びるようになった。
50年代末にマイルスの傘下でモード奏法を修行。
それを基に独自の演奏スタイルを確立した。
60年代にはカルテットを結成し、独創的なコルトレーンサウンドを広めて行いき、
その後フリー・ジャズに突入した。
1967年に病気のため他界し、ジャズ界は大きなダメージを受ける事となった。
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(アート・ブレーキー)
1919〜1990
<ドラム>
1944年にバップ・オーケストラ、ビリー・エクスタイン楽団の結成に参加。
50年代には、ピアニストのホレス・シルバーとジャズ・メッセンジャーズを結成した。
55年にレギュラー活動を始めハード・バップ初期を華々しく飾った、
最もファンキーなアーティストであった。
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(ソニー・ロリンズ)
1929〜
<テナー・サックス>
ニューヨークに生まれ、40年代後半よりプロとして活動を始める。
51年にはマイルスのグループに所属し新進テナーサックス奏者
として評価を受けるようになっていく。
一躍ロリンズの名を轟かせた作品はモダン・ジャズ史に輝く「サキソファン・コロッサス」だ。
また、70年代にはフュージョン系の演奏も行い、若者の心をとらえた。
天才的なアドリブ・プレーでリスナーを魅了し続ける現役テナー・マンである。
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(マイルス・デイビス)
1926〜1991
<トランペット>
ジャズ界の帝王。名トランペッター。
各時代ともマイルスを先頭にジャズは流れていったと言っても過言ではない。
1940年にチャーリー・パーカーを慕ってジャズ界に入り、
積極的に人との交流をはかりながら、己のジャズを開拓していった。
40年代のクール、50年代のモード、60年代のロック、電化サウンドなど、
常に新たな新手法を導入し各々の時代にマイルスの存在を知らしめた。
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(キャノンボール・アダレイ)
1928〜1975
<アルト・サックス>
サックス奏者の中でも、もっともソウルフルで味が有るプレーヤー。
1955年、故郷フロリダからニューヨークへ渡り
"カフェ・ボヘムア"と言う店に訪れる。
その店で飛び入り演奏を行い「アイル・リメンバー・エイプリル」を披露した。
これが評判になり一夜にして無名のアルト吹きか
ら、アルトサックス奏者へと見とめられる事となる。
その後は弟のナット・アダレイとクインテットを編成、
また、マイルスのグループに参加し、60年代以降はファンキージャズでファンを熱狂させた。
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(エリック・ドルフィー)
1928〜1964
<アルト・サックス、バス・クラリネット、フルート>
アルト、バスクラ、フルートを操り独自のフレージングで放出する音色は
一度聴いたら忘れられない程の個性の強いアーティストであった。
フリー・ジャズに属する彼の音楽はオーネット・コールマンとは違い、
敬愛するチャーリー・パーカーが根底になりハード・バップを基本とした
ドルフィー的フリー・ジャズである。
1961年にトランペッターであるブッカー・リトルとクインテットを結成。
アブストラクトな演奏でパーカー&ガレスピーのコンビを凌ぐ程のインパクトをジャズ界に与えた。
そんなドルフィーも病魔には勝てず、1964年に持病である糖尿病で旅先のベルリンで
帰らぬ人となってしまった。
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(J.J.ジョンソン)
1924〜
<トロンボーン>
ジャズ・トロンボーンの第一人者。
トロンボーンを操るテクニックは右に出るものがいないほど。
1940年にベニー・カーターのバンドに入り、
45年には、あのカウント・ベイシー楽団にも所属している。
1954に同じトロンボーン奏者であるカイ・ウィンディングとコンビを組み、
多くの人気盤を発表した。
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(ビリー・ホリディ)
 1915〜1959
<ボーカル>
ボーカル界のルイ・アームストロングと言えるくらい偉大なる存在のボーカリスト。
黒人であることからもたらされる辛苦を幼少時代よりなめつくしながら、
愛と歌とにかけた人生を送った。
自伝「奇妙な果実」でも彼女の思いが表現されている。
1933年にベニー・グッドマン楽団でレコーディング・デビュー。
35年以降、「月光のいたずら」を皮切りにヒットを飛ばし、
39年に「奇妙な果実」で頂点を築いた。
どのような曲を歌ってもブルースになるという意味から
”ブルースを歌わないブルース歌手”とも呼ばれていた。
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(エラ・フィッツジェラルド)
1918〜1996
<ボーカル>
美しい歌声とキュートなボイスでファンを魅了するエラ・フィッツジェラルド。
1934年にアポロ劇場のアマチュアコンテストで優勝し
プロボーカリストとしてデビュー。
38年には「ア・ティスケット・ア・タスケット」で大ヒットを放す。
その後、ベーシストのレイ・ブラウンと結婚。
ジャズボーカリストとして数多くの名作を残している。
女性ジャズボーカリスト最高峰として君臨し、
今もなお彼女を超えるものは居ないと言われている。
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(サラボーン)
1924〜1990
<ボーカル>
42年のアマチュアコンテストで「ボディ・アンド・ソウル」を歌って優勝し、
プロデビューを果たした。
44年にビッグ・バンド・ビリー・エクスタイン楽団に入ってジャズの新しい息吹を吸収した。
独立後は47年に「テンダリー」をヒットさせ、その後もヒットを飛ばし続け、
名実ともにNo.1の座についた。
何と言っても圧倒的なスキャットで歌いまくるサラには脱帽である。
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(フランク・シナトラ)
1915〜1998
<ボーカル>
スイング時代の名ボーカリストととして名声をはてた。
ビング・クロスビーに憧れジャズボーカルの世界に入る。
42年にソロ歌手として爆発的な人気を集め、ジャズ・ファンのみならず
幅広いファンを獲得していたボーカリストの一人。
そんな彼の代表歌は多くの人に愛され続けている「マイ・ウェイ」であろう。

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開設日
2006年1月8日

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