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山田勝彦

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詳細 2018年10月27日 02:26更新

経歴:阪神の正捕手→日本ハム→楽天コーチ→オリックスコーチ

 高校、現役時代は優等生、コーチ時代は渋い名コーチとなった山田勝彦さんについて語りましょう。


・山田勝彦wikiより

愛知県の東邦高校から、1987年のドラフト3位で阪神タイガースに入団。高校通算本塁打は24本。

高卒ながら徐々に捕手としての実力をつけていき、5年目の1992年には、114試合に出場。正捕手として投手陣をリードした。この年の阪神のチーム防御率は2.90であり、2位躍進の最大の要因となった。

このまま正捕手の座を手中にするかと思われたが、関川浩一や矢野輝弘などの存在に加え、自身も伸び悩み、非力な打撃も災いしてこの年以外に100試合以上出場したシーズンはなかった。守備面でもキャッチングに不安定さが見られ、リードも相手が打てないと見たら同じ球を要求し続けるワンパターンさ(特に山田自身が苦手としていた外角スライダーを要求することが多かった)、細かい制球力のない投手に際どいコースを要求するなど投手にあわせたリードが出来ない面も見受けられ、野村監督には酷評された。

1996年、古田敦也の打席で嶋田哲也が古田にビーンボールまがいの球を3球投げ、これに激怒した古田を山田が静止しようして乱闘になった。山田は古田の打席の時にインハイに構えることが多かったが、これは古田がインサイドをえげつなく投手に要求してくるからその報復の意味もあったと後に語っている。

2000年に突如打撃開眼し、大幅に規定打席には不足していたが打率3割を達成して、翌年も安定した打率を残すが、当時既に正捕手としての地位を確立していた矢野を脅かすまでには至らなかった。同時期に才能を開花した井川慶の専用捕手として出場する事が多かった。

2002年オフに下柳剛・中村豊との複数トレードで日本ハムファイターズに伊達昌司とともに移籍したが、翌春のキャンプでキャンプ開始後わずか25分で故障して12球団最速でリタイアしてしまい話題となってしまった。移籍1年目の2003年は40試合に出場し存在感を見せたが、右肘故障の影響や、若手・高橋信二の台頭、ベテラン・中嶋聡の存在もあり、2004年はわずか3試合、2005年は1試合の出場に留まった。

2005年オフに引退。球団側から二軍バッテリーコーチ就任の要請があったがこれを辞退し、阪神時代の監督である野村克也を慕って楽天のバッテリーコーチに就任した。

2011年からはオリックス・バファローズの一軍バッテリーコーチを務める。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%8B%9D%E5%BD%A6

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