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スパ・フランコルシャン

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詳細 2020年6月21日 05:34更新

シルキュイ・ドゥ・スパ=フランコルシャン(Circuit de Spa-Francorchamps)は、ベルギーにあるサーキット。スパ村とフランコルシャン村にまたがっていることから、この名前が使われる。

1920年に完成。1924年には第一回のスパ24時間レースが開催される。ヨーロッパ・グランプリは1925年に開催。F1ベルギーGPを始めとする各種の大きなイベントが開催される。サーキット完成当時は全長14km以上ある長いサーキットだったが、スピードが出過ぎるために開催を中止しコースを改修、全長7.004kmの現在のコースは1978年に造られた。サーキットはレース専用の部分(Les Combes - Stavelot間)と公道(Stavelot - Les Combes間)が混在していたが、常にレースが開催できるように公道部分にバイパスが作られ、現在は完全なレース専用のクローズドサーキットである。難易度の高い高速コーナーが多い事から、ドライバー達のコースに対する評価は高い。

2003年にはEU圏のタバコ広告禁止により、F1が開催中止となったが、2004年には復活を果たし、その際、バスストップシケインが改修された。2006年はピットレーン周辺の問題からF1が開催されなかったが、2007年に再びバスストップシケインとピットレーン施設を改修し復活した。

ベルギーの首都ブリュッセルの東南東に位置する。北緯50度26分14秒東経5度58分17秒



<スパ・ウェザー>
サーキットが山の中にあり、またコース長が長いことから、天候が目まぐるしく変わったり、雨の降っている地点と降っていない地点が混在することが多い。この天候はスパ・ウェザーと呼ばれ、レースを面白くする要素のひとつでもある。

1992年には、ベネトン・フォードのミハエル・シューマッハがこの雨による混乱の中、絶妙のタイミングでタイヤ交換戦略を成功させ、当時最強のウィリアムズ勢を逆転してのF1初優勝を果たしている。さらに、1995年には、雨により予選16位に沈んだシューマッハが、同じく雨により混乱したレースを大逆転で制している。

また、1998年、雨の降っている中スタートしたレースは、開始直後デビッド・クルサードがスピンしたが、後続車からは水煙が上がり前が見えないため、次々とクラッシュしたマシンに突っ込む事故が起きた。幸い、この事故で大きなけが人は出ずレース再開されたが、再開後のレースで、マシントラブルのためスロー走行していたクルサードにシューマッハが後ろからぶつかり、怒ったシューマッハがマクラーレンのピットに怒鳴り込むという事件が起きた事もある(ちなみにこの時のレースは、シューマッハのクラッシュにより後続を走っていたデイモン・ヒルが、ラルフ・シューマッハとの1-2フィニッシュでジョーダンに初優勝をもたらしている)。



<コース概要>

オー・ルージュコントロールラインを過ぎるとすぐに訪れるのが1コーナーの右ヘアピンラ・ソース(La Source)。コントロールラインからコーナーまでの距離が短いため、決勝スタート直後にここでクラッシュが度々起こる。以前はコーナーの立ち上がりのアウト側に縁石があったが、ナイジェル・マンセルがさらにその外側を走るラインを見つけて以降、ほとんどのドライバーが彼のラインをトレースするようになったため、その縁石は取り除かれたが、2007年の改修により再び縁石が設けられた。過去の縁石の配置ではコース外に出ても縁石を踏まずにコースに復帰できたが、2007年の改修ではコースに復帰するためには必ず縁石を越えなくてはならないように縁石を配置したため、コースをはみ出して大回りすることはタイムロスにしかならないようになった。

これを過ぎると、左、右、左と上りながら小刻みに曲がる世界のサーキット屈指の名物セクションオー・ルージュ(Eau Rouge、フランス語で赤い水の意)がやってくる。300km/h近いスピードで駆け抜けるこのセクションは、ドライバー視点からは壁のように見えるといい、現在世界中に存在するサーキットの中で、最も度胸が試されるコーナーのひとつと言われている。1994年、イモラでアイルトン・セナらが事故死しF1の安全性が問われていたこの年に、オー・ルージュは危険性低下を目的としてシケイン状のコーナーになったが、不評だったため翌年から元の形に戻された。なお、オー・ルージュ(赤い水)とはコーナーの近くを流れる川の名である。日本の温泉地にも時より見られるもので、川の水に鉄分を多く含み、赤く見えることに関係している。

オー・ルージュを越えると、ケメル・ストレート(Kemmel)に入る。長いストレートである事と、オー・ルージュの抜け方によって最高速度が大きく変わる事から、オーバーテイクが頻繁に行われる。2000年、ここでミカ・ハッキネンが周回遅れのリカルド・ゾンタを挟んでシューマッハをオーバーテイクしたことがある。このシーンは各メディアで「20世紀最高のオーバーテイク」と言われるほどスリリングで驚異的なものであった。

レ・コンブ(Les Combes)、マルメディ(Malmedy)、リバージュ(Rivage)、プーオン(Pouhon)、レ・ファーニュ(Les Fagnes)、スタブロ(Stavelot)を抜けた後、超高速左コーナーブランシモン(Blanchimont)へ向かう。ここはヨーロッパのサーキットの中で最も通過速度が高く、オー・ルージュと並んで度胸の試されるコーナーである。2001年、ルチアーノ・ブルティとエディ・アーバインがここで接触し高速でタイヤバリアに激突、赤旗中断となる事故が起こった。

コースの最後にバスストップ・シケイン(Bus Stop かつての公道部分でバス停があった)が待ち構える。スタブローからここまで全開で走行してくるため、ここもオーバーテイクポイントである。


・F1ベルギーGPの結果(このコースでの開催分のみ)
年 勝者 所属チーム
1950 ファン・マヌエル・ファンジオ アルファ・ロメオ
1951 ジュゼッペ・ファリーナ アルファ・ロメオ
1952 アルベルト・アスカーリ フェラーリ
1953 アルベルト・アスカーリ フェラーリ
1954 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ
1955 ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス
1956 ピーター・コリンズ フェラーリ
1958 トニー・ブルックス ヴァンウォール
1960 ジャック・ブラバム クーパー
1961 フィル・ヒル フェラーリ
1962 ジム・クラーク ロータス
1963 ジム・クラーク ロータス
1964 ジム・クラーク ロータス
1965 ジム・クラーク ロータス
1966 ジョン・サーティース フェラーリ
1967 ダン・ガーニー イーグル
1968 ブルース・マクラーレン マクラーレン
1970 ペドロ・ロドリゲス BRM
1983 アラン・プロスト ルノー
1985 アイルトン・セナ ロータス
1986 ナイジェル・マンセル ウィリアムズ
1987 アラン・プロスト マクラーレン
1988 アイルトン・セナ マクラーレン
1989 アイルトン・セナ マクラーレン
1990 アイルトン・セナ マクラーレン
1991 アイルトン・セナ マクラーレン
1992 ミハエル・シューマッハ ベネトン
1993 デイモン・ヒル ウィリアムズ
1994 デイモン・ヒル ウィリアムズ
1995 ミハエル・シューマッハ ベネトン
1996 ミハエル・シューマッハ フェラーリ
1997 ミハエル・シューマッハ フェラーリ
1998 デイモン・ヒル ジョーダン
1999 デビッド・クルサード マクラーレン
2000 ミカ・ハッキネン マクラーレン
2001 ミハエル・シューマッハ フェラーリ
2002 ミハエル・シューマッハ フェラーリ
2004 キミ・ライコネン マクラーレン
2005 キミ・ライコネン マクラーレン
2007 キミ・ライコネン フェラーリ
2008 フェリペ・マッサ フェラーリ
2009 キミ・ライコネン フェラーリ



F1ドライバーや関係者達が皆いう名言・・・

【オー・リュージュを見てから死ね】

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2008年3月21日

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カテゴリ
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