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豪栄道

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詳細 2020年3月31日 19:35更新

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豪栄道豪太郎
豪栄道 豪太郎(ごうえいどう ごうたろう、1986年4月6日 - )は、大阪府寝屋川市出身で境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は澤井豪太郎(さわい ごうたろう)。身長182cm、体重134kg。得意技は右四つ、寄り。 最高位は西前頭6枚目(2007年11月場所)。

[編集] 来歴
明和小学校1年生の時に市の大会に出場し優勝したことがきっかけで相撲を始め、小学校3年生からアマチュア相撲では高名な古市道場(元十両・古市の実家)に通った。5年生の時にはわんぱく横綱に輝き、寝屋川四中を経て名門埼玉栄高相撲部に進んだ。高校では高校横綱、世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝など11個の個人タイトルを獲得し、全日本相撲選手権大会でも高校生として史上4人目の3位入賞し将来を有望視された。

相撲を始めたきっかけは、豪栄道自身が同級生の中で偉そうにしていたため、家族が「相撲大会で大きい子にやっつけてもらおう」と市の大会に出場させた所、優勝してしまい、それ以来相撲のとりこになったという。
相撲部の山田監督の後輩である元小結・両国の境川部屋に入門し、高校卒業を待たずに2005年1月場所に初土俵を踏んだ。同期で春日野部屋の栃煌山は自他共に認めるライバルである。序ノ口から三段目までをそれぞれ1場所で通過し、幕下も2場所目で優勝して2006年1月場所では早くも幕下2枚目に昇進し、10代での十両昇進を期待されたが、そこで初めて負け越した。以降幕下上位で足踏みが続き、十両昇進では栃煌山に先んじられた。しかし、課題とされた立ち合いを強化し、2006年9月場所では西幕下6枚目で2度目の幕下優勝を果たし、栃煌山に遅れることわずか1場所での十両昇進を決めた。この際、四股名を本名から豪栄道豪太郎に改名。"豪"の字は本名の豪太郎と師匠の境川豪章から、"栄"は埼玉栄高から、"道"は相撲道と埼玉栄高相撲部監督の山田道紀から採り、力強く栄え相撲道に精進する意を込めた。祖母からは澤井の名を使って欲しいと初土俵時に要望があった。ちなみに四股名改名のとき最終候補まで残ったのは「豪栄道」と「富士の山」だった。

十両で2場所連続勝ちこして迎えた2007年3月場所では、ライバル栃煌山が新入幕を果たした。それに奮起したのか、地元の声援のせいか、その場所では初日から7連勝し、里山と優勝争いを演じた。しかし終盤にやや崩れ、千秋楽には里山に敗れて十両優勝はならなかった。関取最年長・皇司とならんで優勝次点。翌5月場所は東十両3枚目という新入幕が期待された地位で負け越したが、7月場所は西十両5枚目で12勝を挙げた。岩木山・旭天鵬との優勝決定巴戦で優勝を逃したが、翌場所の新入幕を決めた。

新入幕の場所は西前頭14枚目に据え置かれた。2日目には、怪我による休場のため西前頭13枚目に降格していたライバル・栃煌山との対決が実現し、寄り切られて栃煌山戦で初めての黒星を喫したものの、その後連勝を重ね11日目の時点で10勝1敗の成績を残した。新入幕ながら終盤まで優勝争いに残り、11日目に白鵬が2敗を喫したため何と優勝争いの単独トップに躍り出た。そのため12日目から上位戦が実現したが、12日目に安馬、13日目に千代大海、14日目に白鵬に連敗し優勝の可能性が消えた。安馬戦では相手に前袋を掴まれるという反則すれすれの行為を受けるも、適用を免れるという不運にも見舞われた。新入幕力士の横綱との対戦は1995年7月場所2日目の土佐ノ海と横綱貴乃花の一戦以来であった。優勝争いに残った上で、新入幕が横綱に対戦するのは史上初のことである。この場所は最終的に11勝を挙げ、敢闘賞を受賞した。

入門時は若干太めの体であったが、そこから痩せて行き、また太るという力士の模範となる太り方をしている。

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開設日
2007年11月17日

6031日間運営

カテゴリ
スポーツ
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