明治元年(1868年)3月10日、父平五郎と母貞の五男として生まれる。幼名は淳五郎。
「日本騎兵の父」といわれた、明治陸軍大将秋山好古(よしふる)を兄にもつ。
日本海軍史上きっての戦略家といわれる秋山真之は、海軍兵学校を首席で卒業し、軍令部の諜報課員としてアメリカに渡り、米西戦争(1898年)を観戦した経歴をもっている。
日露戦争では、連合艦隊参謀として、
・旅順に停泊する太平洋艦隊に対する閉塞作戦
・バルチック艦隊に対する大回頭(俗にいう東郷ターン):丁字戦法
・七段構えの戦法
などを提案し、日本海軍を圧倒的な勝利に導く。
連合艦隊司令長官 東郷平八郎は、真之を「智謀湧くがごとし」と称え、上官たちも彼の頭脳の優秀さには舌を巻き、ほとんどの作戦を彼に一任していたという。日本海海戦に臨んで、旗艦「三笠」が発した「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」という名電文も、真之の起草といわれている。
坂の上の雲 司馬遼太郎より引用
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