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二条城

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詳細 2024年1月26日 19:11更新

築城年:慶長七年(1602年)
築城者:徳川 家康
形状 :平城


歴代城主
徳川 家康‐秀忠‐家光‐家綱‐綱吉‐家宣‐家継‐吉宗‐家重‐家治‐家斉‐家慶‐家定‐家茂‐慶喜


アクセス
市バス二条城前下車


見所
壮大な規模と格式の御殿や庭園、鳴き廊下など将軍家の威風を随所に感じる事ができる。



最も豪華な書院造建築として知られ、最後の将軍となった慶喜が大政奉還を上表した事もあり、歴史的にも建築としても重要な城のはず・・・





二条城の歴史


慶長八年(1603年)
二条城、ほとんど完成し(現在の二の丸部分)、家康はじめて入城


慶長十六年(1611年)
豊臣秀頼、家康と会見


慶長十九年(1614年)〜
城内で大坂冬の陣・夏の陣の軍議を開き、当城より出陣


寛永元年(1624年)
三代将軍家光が城の拡張・殿舎の整備に着手


寛永三年(1626年)
本丸・二の丸・天守完成。現在の規模となる。九月、後水尾天皇二条城行幸(五日間)


寛永十一年(1634年)
家光が三十万人と称する大軍を率いて入城。このあと二条城には二条在番を置き、留守居をさせる。(大番頭四人、番士五十人


寛延三年(1750年)
八月、雷火により五層の天守、焼失する。


天明八年(1788年)
一月、市中の大火により本丸殿舎、同櫓焼失する。


文久二年(1862年)
将軍家茂の上洛を迎えるため、二の丸殿舎の整備及び仮設建物の造営に着手。


文久三年(1863年)
家茂入城(1634年に三代将軍家光が入城して以来)


慶応二年(1866年)
二条城内において慶喜十五代目の将軍職を継ぐ。


慶応三年(1867年)
十月、二条城に四十藩の重役参集し、大政奉還の会議がなされる。二の丸御殿大広間において慶喜が大政奉還を発表


明治元年(1868年)
一月、城内に太政官代(現在の内閣にあたる)が置かれる。


明治四年(1871年)
二の丸御殿内に府庁が置かれる。(のち一時陸軍省になる。)


明治十七年(1884年)
七月、二条離宮となる。


明治二十六年(1893年)
京都御所北東部にあった桂宮御殿を本丸に移築し、本丸御殿とする。


明治三十年(1897年)
二の丸殿舎の破風金具、入側小屋、廊下回り格天井の貼付絵を新装する。


大正四年(1915年)
大正天皇即位の大典が行われ、大饗宴場を造営(現在の清流園の位置)南門ができる


昭和十四年(1939年)
宮内省より二条離宮を京都市に下賜される


昭和十五年(1940年)
二月十一日、恩賜元離宮二条城として一般公開をはじめる


昭和二十七年(1952年)
文化財保護法の制定により、二の丸御殿六棟が国宝に、本丸御殿隅櫓など二十二棟の建物が重要文化財指定を受ける。


昭和四十年(1965年)
清流園作庭(江戸初期の豪商、角倉了以の邸宅の庭石などを使用する。)


昭和五十七年(1982年)
二の丸御殿障壁画が美術工芸品として重要文化財指定を受ける。


平成六年(1994年)
ユネスコの世界遺産リストに登録される。

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開設日
2007年1月19日

6333日間運営

カテゴリ
アート
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