Lammtarra
父Nijinsky
母Snow Bride
母父Blushing Groom
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1994年の2歳時に、イギリスで準重賞のワシントンシンガーステークスでデビュー勝ちを収めた。しかしデビューの翌月、所属厩舎の調教師であるアレックス・スコットが元従業員の男に射殺され、転厩(てんきゅう)を余儀なくされる。
翌1995年、エプソムダービーに向けて調整中の3月に、突然肺の感染症をわずらい、やむなく3歳の初戦としてぶっつけでエプソムダービーに出走することになる。ところがそんな悪条件をはねのけ、マームードの記録を59年ぶりに破る2分32秒31のレコードで優勝。鞍上のウォルター・スウィンバーンにとって3度目のダービー制覇となった。スコットは生前、ラムタラのダービー勝利に対し、ブックメーカーのラドブロークスに34倍のオッズで1000ポンドを賭けていた。通常は死亡者には払い戻されないが、ラドブロークスは34,000ポンドの払戻金を未亡人に支払った。
続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスはランフランコ・デットーリに乗り代わり、ペンタイアとのマッチレースの末に優勝。さらにぶっつけでフランスの凱旋門賞までも制し、史上初めて無敗でヨーロッパの三大レース(日本のみヨーロッパ三冠と呼ぶ)を全て制した。闘争心が素晴らしく、主戦を務めたランフランコ・デットーリは「彼はライオンだ」と発言した。
なお、これらの大偉業にもかかわらず、ラムタラの勝ったレースのレーティングは、あまり着差がついていないためか、130ポンドとそれほど高い値が与えられなかった。また、着差もあるが、中東勢のオーナーの台頭を嫌う一部の排他的な競馬関係者の意向が反映したのではないかという意見もあった。
実際、これほどの成績を残したにも関わらず、同年のカルティエ賞年度代表馬にはリッジウッドパールが選出されている。